上部広告スペース

よろずえっせい

その八『夏の夜の夢』

二〇〇二年は芝居見物に明け暮れた年であった。

仕事の関係で月に二週間は東京に滞在していた。

その間、演劇を片っ端から観るのである。

仕事そっちのけで都内の小劇場を巡った。

夢中になり過ぎて営業成績の方は下降の一途。

よくクビにならなかったものである。

俺は一度凝ると、とことん熱中するタイプである。

それにしても異常であった。完全に気が狂っていた。

演劇という魔物に取り憑かれた一年だった。

演劇情報誌を手放せない日々が続いた。

マイナー劇団の公演を選ぶ癖がついていた。

有名な劇団よりもそちらの方が意外性に富んでいる。

小劇場特有のアナーキーな雰囲気も俺の好みだった。

事前情報が極端に少ない為、芝居の内容が?めない。

出演者の大半が俺の知らない者ばかり。

何が飛び出すかわからない面白さ。

映画に食傷していた俺にはそれが新鮮であった。

俳優の演技に異様な迫力がある。

恐らく、役者稼業一本では食ってはいない筈である。

アルバイトや副業をこなしながらの演劇活動だろう。

全日満席だとしても果たして採算がとれるかどうか。

もしかしたらこれが最終の公演になるかも知れない。

そういう状況下で彼らは舞台を踏んでいる。

彼らの凄味はその辺りからも来ているのだと思う。

優れた脚本と達者な出演陣。

隅々まで行き届いた精密な演出。

そして、それを観た時の充実感。

ライブの素晴らしさ。演劇の醍醐味。

会場を揺るがす称賛の拍手。

その麻薬的な魅力が俺を捉えたのだった。

但し、毎回そうゆくとは限らない。

観劇を重ねる内に徐々にこちらの舌も肥えてくる。

つまらない芝居を観た時の脱力感。虚脱感。

観劇に至るまでには結構な手間がかかる。

上演時間に合わせて予定を調整しなくてはならない。

決して安くないチケット代も払っている。

観ている方が恥ずかしくなるような稚拙な演技。

延々と続く軽薄な物語。

さっさと席を立てば良いのだが。

気の弱い俺にはそれが出来ないのである。

その芝居を観たのは夏の終りであった。

出来の悪い演劇に、嫌気がさしていた時期だった。

ここらで本格的な演劇を観てみるか。

そんな気分であった。

シェイクスピア作『夏の夜の夢』。

演出・蜷川幸雄。

俺は渋谷の大劇場《シアターコクーン》に向かった。

シェイクスピア劇を実際に観るのはこれが初めてだ。

劇場前に設けられた受付で当日券を求める。

思っていたよりも簡単に席を確保する事が出来た。

天下の蜷川と言えども連日満員とはゆかぬようだ。

予算の都合で二階席となった。

劇場に入る。

長い階段と通路を抜けて、自分の席に辿り着く。

小劇場では味わえない豪奢な雰囲気がそこにあった。

視線を舞台へ移す。

舞台の上には日本庭園風のセットが組んであった。

これが噂の蜷川ワールドなのか。

開演までにはまだ時間があった。

俺は一階のロビーに行ってみる事にした。

飲食物を販売するカウンターが大層賑わっていた。

生活水準の高そうな客がほとんどであった。

安サラリーマンには場違いな気がしないでもない。

子供連れが多い事に驚く。

餓鬼の頃からシェイクスピア観賞とは随分贅沢だな。

俺のような田舎者にはまず考えられない環境である。

俺はグラスワインを注文して一息に呑んだ。

よく冷えたワインが乾いた喉を滑らかに通過した。

その後、俺は席に戻った。

われら役者は影法師、

皆様がたのお目がもし

お気に召さずばただ夢を

見たと思ってお許しを。

つたない芝居ではありますが、

夢にすぎないものですが、

皆様がたが大目に見、

おとがめなくば身のはげみ…

『夏の夜の夢』の最後を飾る妖精パックの台詞。

華麗なる蜷川演劇に酔った一夜であった。

いや、思えばあの一年自体が夢であった。

俺にとっての『夏の夜の夢』であった。

単調な工場勤務の最中に時折そんな事を考える。

初出『奇魂』第八號「よろずえっせい(五)」(2004/03/03刊)

その七「眼」

数年前から芝居狂いという重病にかかっている。

子供の頃から演劇には魅力と興味を感じていた。

保育園の遊戯会か何かで『こびとのくつや』の主人公を演じた覚えがある。

主役と言ってもジジイだが、本人はかなり意欲的に取り組んでいたと、誰かが教えてくれた。

小学五年生の時に初めて脚本のようなものを書いた。

童話『おおきなかぶ』のパロディだったと思う。

続く六年生には、時代劇ヒーローの連合軍と〈悪の秘密結社〉が大激突するという娯楽活劇を書いた。

クラスには個性の塊のような連中がゴロゴロしていたので、配役には困らなかった。

俺は秘密組織の首領を演じた。

クライマックスは主役格の遠山金四郎との一騎討ち。

学芸会で発表したら、これがバカ受けした。

終幕後、観客の盛大な拍手を浴びた時の何とも言えない満たされた気持ちは今でも鮮明に記憶している。

中学校の文化祭。

各クラスで演劇を上演する規則である。

二年の時に端役で出演。練習の時に張り切り過ぎて、演出家の叱責を頂戴したのも懐かしい想い出である。

題名は残念ながら忘却してしまったが、古典的なラブストーリーだったと思う。主演二人の初々しい演技が高く評価されて、金賞を獲得した筈である。

中学三年となり、俺は再び自作自演を手掛ける。

今回はパロディではなくオリジナル。

自分としては、品の良い人情喜劇の志した心算だったのだが、結果は全くの不評であった。

稚拙な脚本を何とか盛り上げようと、毎日遅くまで、稽古に励んでくれた級友達には申し訳ない事をした。

己の未熟さを思い知り、脳天気な俺も落ち込んだ。

この後、俺は芝居から離れて(逃げて?)映画の世界に傾倒するようになる。

大学を卒業し、地元企業に就職。仕事の関係で上京する機会が多くなった。

都内では現在も演劇活動が盛んで、有名無名を問わず多数の劇団が芝居を上演している。

いつのまにか、俺は観劇の虜となった。

マイナー劇団の公演が中心である。

昨年、劇団〈東京スウィカ〉の『カナリア放送局』という芝居を観た。

場所は杉並区の地下劇場〈ザムザ阿佐ヶ谷〉である。

ここから俺の病気は始まった。記念すべき劇場。

造りと言い雰囲気と言い、俺は大層気に入っている。

『カナリア放送局』は良質のコメディであった。

練り上げられた脚本と秀逸なキャラクター設定。

ベテランと新進気鋭が織り成す見事な演技合戦。

演劇には独特の緊張感がある。

一度幕が上がれば、最後まで走り続けなければならない。何があろうと止まる事は許されない。事前に幾ら訓練を積んでいたとしても、ライブ故に予想外のトラブルが発生する事もある。観ている側も瞬間ヒヤリとする。

役者の力量が問われる時である。

オロオロと混乱状態に陥り、作品世界をブチ壊す者もいれば、まるで「台本通りだ」と言わんばかりに冷静沈着に対処してしまう者もいる。

〈東京スウィカ〉の場合は明らかに後者であった。

良い芝居をしかも最前列で観賞した時の充実感。これほど贅沢な時間はそうそう味わえるものではない。

『カナリア放送局』では子役の奮闘も目立った。芸達者の大人達に負けぬ好演で、客席を大いに沸かせた。

伊山伸洋。

まだ少年である。

中学校に通う身だ。

眉目秀麗なのは言うまでもないが、卓越した演技力と舞台度胸を備えている。

観劇後、伊山君と会話をする好機に恵まれた。

芝居と彼の演技についての感想を述べると、かの少年俳優は照れ笑いを浮かべながらも、真剣な面持ちで聞いてくれた。演じるという行為が本当に好きなのだろう。

夢を語る少年の眼は限りなく眩しかった。

久々に見た〈生きている人間〉の眼である。

このような純粋な時代が〈人間〉だった時代が、果して俺にも存在したのだろうか…。

余り自信はない。

十歳以上も年下の相手に、俺は強い憧憬の念を抱いたのだった。その中に嫉妬の要素が、ほんの少し混じっていたような気もする。

俺には演者の才能はない。

あくまでも観る者である。

俺は自分の役割をようやく悟ったのだった。

俺の意識の底の底に残留していた愚かな幻想を、伊山君が綺麗さっぱり消し飛ばしてくれたのだった。

こうしている間にも、伊山君は学業と芸道の両立を目指して精進を重ねている事だろう。

あの眼を失わぬ限り、彼の成功はまず間違いない。

初出『奇魂』第七號「よろずえっせい(四)」(2003/06/23刊)

その六『七夕の国』

九〇年代、SFホラーの秀作『寄生獣』を発表して、一躍名を馳せた岩明均。次に取り組んだ長篇マンガが、ある地方都市の因習を描いた『七夕の国』である。

怠惰な学生生活を送る南丸洋二はある日、民族学・歴史学を専門とする丸神教授の招聘を受ける。だが、研究室を訪ねてみると、教授は行方不明だという。彼は一体何処へ消えてしまったのか?その日以降、南丸は自分のルーツに纏わる奇怪な事件に巻き込まれてゆく…。

この種の物語は前半に「大いなる謎の断片」を巧みに散りばめておけばおくほど、後半の「謎解き篇」が楽しくなり、読者にカタルシスを与えることが出来る。

『七夕の国』の場合、導入部からクライマックスまで矛盾や歪みはほとんど見当たらない。作者もその辺りは流石に心得ており、各人物を周到に配置し、物語の構想をガッチリと組んだ上で、連載を開始したようである。

前作『寄生獣』では、個性強烈な登場人物が織り成す生々しいドラマが読者を魅了した。それに比べると『七夕の国』のキャラクター群は少々「薄味」と言える。

主人公の南丸が面白くない。

南丸は温厚な性格であり、それなりに人望もある。好人物である事は間違いないのだが、彼には物語を推進してゆくエネルギーがまるで感じられない。如何なる場合にも傍観者を決め込む彼の態度に苛立ちを覚えた。自らの手を汚さない主人公(ヒーロー)に俺は興味がない。

南丸の対極に位置する人物が丸神頼之である。

この物語には恐るべき殺傷力を秘めた「窓の外」という謎の球体が登場する。A県・丸川町。代々この土地に住まう人々の中には「窓の外」をコントロールする能力を備える者が時折生まれる。能力者は〈手がとどく者〉と呼ばれて町民から大変な尊敬を集める事になる。

頼之は頭脳明晰にして、史上最大の〈手がとどく者〉である。だが、頼之はある理由によって故郷を捨てた。頼之の逐電と丸神教授の失踪。実は両者の行動には深い関連性があり、この物語の核心になっている。

外界に出た頼之は激烈な闘争に身を投じる。優れた戦士でもある頼之は特殊能力を最大限に駆使して、敵を討ち果たす。ダークヒーローの資格充分な頼之に感情移入出来さえすれば、これほど面白いマンガはないだろう。

(小学館・全四巻)

初出『奇魂』第七號「よろずえっせい(四)」(2003/06/23刊)

その五「倫敦博物館巡り」

昨年の夏。倫敦に出掛けた。初の海外旅行である。

関西新空港から飛び立つ直行便に俺は乗り込んだ。席は勿論エコノミー。倫敦到着まで約十二時間の飛行である。活動的な人間なら堪え難い拷問だろうが、久し振りにまとまった時を読書に費やさせると俺は喜んでいた。

俺は三人用座席の中央。左は如何にも旅慣れしている様子の米国人男性。右は英国人女性だった。両者は搭乗時間の大半を睡眠に充てていた。俺は待望の読書。途中二回の食事。この時ばかりは左右の乗客も目覚める。酒も出る。俺はウイスキー、左はビール、右はワイン。各々の手に好みの酒が行き渡る。旅行中独特の興奮状態に陥っている俺は、両隣に向けて、乾杯の仕草をした。二人とも俺の意思を理解してくれたらしい。杯を上げてくれた。グラスの中身を飲み干す。安酒が妙に旨かった。

予定通りの時刻にヒースロー空港に到着。大阪を離陸したのは正午だが、時差の関係で現地は午後四時頃。入国審査を済ませた俺は、荷物の受け取りに向かった。ここで異常事態発生。どのターンテーブルを見ても俺の旅行鞄が見当たらないのである。暫くの間その場をウロウロしていたが埒が明かない。日本の航空会社のカウンターに行き、事情を説明。親切な係員は「それはお困りですね」と、荷物調査の手配をしてくれた。彼女の適格な対応のお陰で無事に鞄を取り返す事が出来た。この手のトラブルは意外に多いと、まるで保育園児を諭すように係員が優しく慰めてくれた。旅に出ると、人の情けが身に染みる。彼女にとっては業務内容の一項目に過ぎないのかも知れないが。さて、今度は宿泊先にどう辿り着くかである。大慌てでバスターミナルに走ったが、旅行会社の手配してくれた筈の送迎バスは影も形もなかった。

俺の他に荷物調査の依頼をしていたもう一人の日本人がいた。ヨシタケという金髪の少年である。彼は留学生であり、来年はオーストラリアの大学に入学が決定しているそうな。一時帰郷。再び倫敦に戻った彼の両手には大量の日本土産が下げられていた。彼は「地下鉄でホテルまで送りましょうか」と申し出てくれたが、余りにも情けないような気がした。すると、前方から痩身のオヤジが俺達の方にやって来る。ヨシタケは流暢な発音でオヤジと何やら交渉している。少年は「この人が三十二ポンド(約6400円)でホテルまで運んでやると言ってますよ」と俺に通訳してくれた。やれやれ助かった。

俺はここでヨシタケと別れた。少年よ。もう会う事はないだろう。日本再建の為に頑張ってくれ。オヤジに連れられて、俺は空港近くの立体駐車場に入った。俺は当初、彼がタクシーの運転手と勘違いしていた。どうやら職にあぶれた失業者のようだ。相当にくたびれた彼の愛車に俺は乗った。タクシーだろうが何だろうが、ホテルまで送ってくれればそれで良い。だが、待てよ。

これって、ガイドブックに掲載されていた「旅行者が遭遇する追剥ぎのパターン」そのものじゃないのか?かの運転手。登場時から挙動不審だったような気がする。やたらに俺の荷物を持とうとしていたし…。もっともらしく、市内地図を確認しているが、宿に向かっているのかどうかも怪しい。土地勘零の俺には判断不可能だ。このまま、何処かの倉庫か何かに連れ込まれる・そこには奴の仲間が待機している・身ぐるみを剥がされて、放り出される。寝不足の俺の頭の中では、疑心暗鬼がドロドロと渦巻いていた。街中を走っている内に、車外に飛び出そうと、半ば本気に考えていたその時、かの運転手が俺の右肩を何度も叩く。痛い痛い。そしてオヤジは「あれを見ろ!」と言わんばかりに前方の建物を指差す。俺の宿泊先の名前は《パラゴンホテル》であり、そしてその壁面には《PARAGON HOTEL》という文字がしっかりと刻み込まれているではないか。全ては俺の愚かな妄想だった訳である。俺は「わははははは」と、狂笑。運転手と握手を交わして(現金なものだ)約束の代金に少し上乗せをした紙幣を手渡した。あのオヤジがもし本物の盗賊だったとしたら…。今でもゾッとする。

日本語で無理矢理チェックインを済ませて、自室に入り、疲労困憊の体で寝台に倒れ込む。窓の外は既に闇。

ホテル滞在中、英語能力の貧弱さに何度も嫌気が差した。女性フロントマンにも「少しは英語を勉強してきなさい」という顔を露骨にされた。確かに身振り手振りでも大抵の意思は伝わるものの、英語が堪能なのに越した事はない。そんな当然の事を、俺は身をもって知った。

二日目からは順調に旅程をこなす事が出来た。

倫敦。かの黒澤明が映画の師と仰ぐジョン・フォードと初の対面を果たし、スタンリー・キューブリックがハリウッドを脱出、その後の創作活動の拠点に定めた街。

午前中は倫敦市内の主要な名所を、僅か三時間で周遊するというバスツアーに参加。慌ただしいスケジュールだったが《セントポール大聖堂》の壮麗な雰囲気と巨大な迫力には度肝を抜かれた。石の文化の究極形態のひとつではないかと思われた。ツアー終了後、多分不味いだろうな、と予想しつつ、日本料理店の暖簾を潜る。俺は焼き鳥丼とうどんを注文した。店内は日本人旅行者やビジネスマン等で結構繁盛している。出来の方は…まあこんなものか。倫敦で啜るうどんは不思議な味がした。食後《シャーロック・ホームズ博物館》を訪ねる。原作の住所と同じ場所に建てられたその小さな博物館は、相当な活況を示していた。ホームズ人気はまだまだ健在だ。

三日目は《自然史博物館》《科学博物館》《ヴィクトリア&アルバート博物館》という三大博物館を連続訪問した。どの博物館も広大な面積と重層的な構造を誇り、収蔵されている展示物も興味深いものばかりであった。英語で記された説明用プレートは無論読めないが、眺めているだけで面白かった。ヴィクトリア&アルバート博物館には、浮世絵や刀剣・鎧兜の展示スペースがあり、この大博物館のコレクションとして立派に認められているのが嬉しかった。特に甲胄類は黒澤映画に頻繁に登場する実用性と重厚な美しさ湛えた「実戦装備」を彷彿とさせた。これらの日本の品々は、果たしてどのような経緯でこの陳列ケースに飾られる事になったのだろうか。

移動には主に地下鉄を利用した。最初は路線図を見ながら恐る恐る乗っていたが、次第に倫敦の地下鉄が非常に洗練されたものである事に気づいた。各路線は色分けによって区別されており、駅には誰にでも理解可能な標識が設置してある。車内放送も忠実に入る。何を言っているのかは、やはり不明だったが。地上に出ると、後は徒歩にて目的地へと向かう。異国界隈を歩くという事だけで田舎者の俺には新鮮な体験であった。喉が乾くと、至る所にあるカフェバーに寄る。コーヒー・紅茶も良いが、ビールが美味しかった。会社員らしき連中が、真っ昼間から堂々と酒を楽しんでいる。俺も日本に戻ったら「英国流」と称してランチビールを呑んでみようかな。

四日目。世界最大級の《大英博物館》に足を踏み入れた。人類の歴史を満載して、現在も航行中の巨大空母という趣であった。ミュージアムショップの品揃えも充実しており、俺は山のような絵葉書を購入した。その日の午後、俺は帰国の途についた。さらば、倫敦。この街が誇る観光名所の数々は確かに素晴らしかった。だが、俺にとって最も感動的だったのは、人々の予想外の親切さであった。ちょっとしたトラブルに遭った時、気さくに話しかけ、俺を救ってくれた人達。この街の風は旅人に優しかった。あの旅行から早くも一年が経つ。かの国際都市を再び訪れる日が来るだろうか。いや、行こう。その好機を伺いながら、俺は退屈な日常を消化している。

初出『奇魂』第六號「よろずえっせい(三)」(2002/12/08刊)

その四「怪獣映画追想」

その夜。私は《阿佐ヶ谷ラピュタ》に向かっていた。清潔な内装を誇るこの映画館は、連日往年の名作を上映し続けており、コクのある作品に飢えた映画好きが集結する。因みにラピュタの地下は、前号で紹介した地下劇場《ザムザ阿佐ヶ谷》である。一昨年辺りから、演劇に狂っている私は、ザムザの方を利用する機会が多かったのだが、今日の目的は映画。それも怪獣映画であった。

『フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ』。

私がこの作品の噂を聞いたのはいつの頃なのか、その記憶は定かではない。ただ、怪獣映画の隠れた名品という情報を得て、いずれは観たいものだと考えていた。今回、ラピュタでは第二回目となる「円谷英二特集」が組まれる事になり、資料の中に『サンダ対ガイラ』の名を発見した時、私の内に眠る怪獣小僧の血が騒ぎ出した。

怪獣映画は子供の妄想を満足させる要素を内抱している。まず、怪獣と呼ばれる巨大生物。時には天空から、時には地底奥深くから、或いは大海原を引き裂いて「それ」は出現する。地球の王者である筈の人類の領域にそいつは土足で侵入する。その巨体は大地を揺るがし、街は崩れ去る。中には、飛び道具を装備している奴もいて高層ビル群は木端微塵に砕け散り、人間文明は劫火に包まれてゆく。怪獣の演じる大規模な破壊行動。少年達は戦くのと同時に、憧憬の念を感じつつ、それを見守る。

怪獣映画は戦争映画の側面もある。大自然が人間界に放った恐るべき刺客。その蹂躙を黙認すれば、人類は破滅するしかない。当然反撃が始まる。軍隊が怪獣要撃の最前線に立つ。如何にして、この巨大生物を仕留めるのか?目標の習性に併せた作戦(大抵失敗する)が練られる。人類の敵を斃すべく進撃する陸海空の兵器群。その光景は人をゾクゾクさせる独特の高揚感が伴う。我々は自分は戦争には行きたくないが、武器は大好きなのだ。

私が劇場で観た最初の怪獣映画は、一九八四年公開の『ゴジラ』である。それまでは、テレビ放映かグラビアでしか知らなかった怪獣王を大スクリーンで「目撃」した感動は今も鮮やかである。当時、小学六年生。私は狂喜して観ていたが、八四年版『ゴジラ』は「怪獣映画の最低ランクに位置する愚作」というのが定評だそうな。

中学三年の頃、大森一樹が監督を務めた『ゴジラ対ビオランテ』が封切り。私は隣の長浜市の映画館へ行く。ゴジラ対自衛隊の攻防に植物怪獣との対決が絡むという展開が面白かった。同時上映は『バットマン』だったと記憶する。洋画観賞に慣れておらず、字幕を追うのに精一杯であった。映画の内容はほとんど覚えていないが、バットマンの宿敵を演じた「ケッタイなオヤジ」の印象が強烈であった。オヤジの名はジャック・ニコルソン。未来の自分が、彼の主演映画についての駄文を書く事になろうとは、この時点の私は、無論知る由もなかった。

彦根市内の高校に通う事になり、私は放課後の補習をサボって、商店街の中にある映画館にしばしば足を運んだ。近所の八百屋のオヤジの怒鳴り声が壁を通過して、客席に届く。そんな映画館であった。大森一樹の『ゴジラ対キングギドラ』と大河原孝夫の『ゴジラ対モスラ』の二本をこの劇場で観た。両作とも無難な出来と言えたが新鮮味に乏しく、以後私は怪獣映画から遠ざかる。

黒澤映画の追跡が始まったのは、この頃からだった。当時の私の潜伏場所は、前述の映画館と学校近くの市立図書館だった。映像関係の文献が収納されている棚から佐藤忠男の「黒澤明解題」と黒澤の自伝「蝦蟇の油」を発掘する。黒澤映画の研究書を読み漁り、ビデオを借りまくる日々が続く。そんな中『七人の侍』がリヴァイヴァル上映(九一年)されたのは望外の幸運であった。

岐阜県下の大学に進み、私の映画狂いはいよいよ加速する。所持金は常に寂しかったが、映画は可能な限り劇場で観るようにしていた。財布の中身が底を突くと、図書館の視聴覚コーナーに入り浸り、好みの作品を片っ端から観ていた。団体行動を避け、一匹狼を気取りたがる性質はこの辺りで定着する。社会に出てからも、協調性がなく、かと言って、アウトローに徹する事も出来ない中途半端な自分自身を嫌悪しながら、今も生きている。

九五年、華々しくガメラ復活。ガメラと言えば、おどろおどろしい大映特撮のスター怪獣であり、小学生時代の私は、長期休暇の度にテレビに登場するこの亀型モンスターの奮闘を観戦していた。金子修介が監督を務め、気鋭の樋口真嗣が特撮を担当した『ガメラ・大怪獣空中決戦』は、怪獣映画の枠を超えたSF活劇として、見事な出来栄えであった。当時の「キネマ旬報」でも特集記事が掲載され、私が敬愛する田山力哉も感心していた。

人間を捕食し、怪光線を吐き散らして、日本全土を脅かす妖鳥・ギャオス。この謎の飛行生物が、超古代文明の忌まわしき遺産であるという設定が面白い。その天敵として誕生した、生命ある万能戦艦・ガメラ。福岡ドームを舞台にした「ギャオス捕獲計画」に始まり、黒澤の『椿三十郎』を意識したという二大巨獣の一騎討ちに至るまで、両監督の演出手腕が冴える痛快作であった。

翌年に発表された、続篇『レギオン襲来』は物語のスケールは更に拡大され、特撮の派手さも倍加。しかし、私にはやや冗長に思えた。九九年、シリーズの末尾を飾る『邪神〈イリス〉覚醒』が公開。登場人物の多彩さが裏目に出たような印象を受けたが、樋口特撮は絶好調であった。ギャオスを追跡して、渋谷上空にガメラが飛来する。得意の火炎球で目標を轟沈。火ダルマになったギャオスが墜落し、居合わせた人間達が虫ケラのように吹き飛ぶ場面の凄まじさ。養分吸収能力を秘めるイリスの触手が突き刺さった腕を、自ら爆砕して、勝利を収めるガメラの凄惨な勇姿は、闘神そのものの迫力であった。

私が怪獣映画を楽しんできた、長浜、彦根、大垣の各劇場は、映画不況の波に押し潰されて、いずれも閉館。世の流れと言えばそれまでだが、寂寥感は消えない。

ラピュタの客席数は五〇席。半分程度の客の入りだがどの顔も年季の入った映画ファンである事を伺わせた。一組だけ家族連れの姿が見える。息子と思われる少年は周囲の大人が発散する異様な雰囲気に気圧されていた。

定刻を告げるチャイムが鳴る。係員が進み出て「皆様お待たせしました。これより、本多猪四郎監督作品『フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ』を上映致します。尚、携帯電話のスイッチは…」前口上が終ると出入り口のドアが閉まり、厚手のカーテンが引かれた。

本多猪四郎。

黒澤明の親友にして、日本特撮映画の大御所である。先輩格の黒澤が傑作を連発していた同時期、本多も『ゴジラ』『地球防衛軍』等の特撮映画の名作を量産してゆく。七五年の『メカゴジラの逆襲』を最後に、第一線から退き、以後は黒澤組に合流する。演出補佐として『影武者』『乱』等の作品に参加。撮影に入ると、鬼神と化して怒りを爆発させる暴君・黒澤と違い、本多は温厚な性格だった。正反対の二人だけに、かえってバランスが取れていたのかも知れない。黒澤も「本多とは一度も喧嘩してないよ」と、話している。信用に足る記録を読んだ訳ではないので迂闊な事は言えないが、黒澤が本多の新作を観る機会はなかったのだろうか?世界のクロサワが、試写室で怪獣映画を観賞する光景というのは、想像するだけで楽しいし、現実にあったと思うのだが…。

『サンダ対ガイラ』の導入部。暴風雨に揺れる貨物船が映し出される。その船に突如襲来する大蛸!操舵手は仰天するが、更なる恐怖が彼を貫く。グリーンの体毛に覆われた巨人の登場である。桁外れの膂力で大蛸を引っぺがす巨人。正義の怪獣の出現か?と思わせるが、さにあらず「彼」の目的は、乗組員だ。勿論喰う為である。

この怪物は何者なのか?彼の正体は、第二次大戦中にナチスが極秘開発した生物兵器・フランケンシュタインの細胞が異常成長を遂げた結果だったのだ。食糧を求め人間界に奇襲を仕掛ける巨人に、ついに自衛隊が出陣する。巨人(中盤でガイラと命名)撃滅を狙う「L作戦」が発動。お馴染みの軍用ジープや戦車隊の後方から、作戦の主役と言える自衛隊秘蔵の究極兵器が姿を現わす。

メーサー殺獣砲車。

不死身の肉体を有する魔神と必殺光線放射装置。人類の禍々しい才能が生み出した二大芸術が対峙する。射程距離内に入ったガイラに、殺獣砲車の一斉攻撃が浴びせられる。抜群の命中率。血みどろになりながら、逃げ回る巨人を、追撃光線が切り裂く!この戦闘場面は本作の白眉と言えよう。ガイラ迎撃に大活躍する殺獣砲車は、洗練されたデザインと重量感溢れる動きを誇る傑作メカニック。必殺光線を一定量放射すると、パラボラ部分の発光が瞬間消えて、再び放射を開始するという芸の細かさは、特撮監督の尋常ならざるこだわりを感じさせる。

円谷英二。

特撮映画史に輝かしい功績を記した名匠である。現在も受け継がれている特殊撮影技術の大半が、円谷の考案したものだという。特撮映画は「子供騙し」「ジャリ向け」というイメージが拭い切れず、未だに正当な評価が為されていないような気がする。空想世界を映像化する彼の閃きは天才的であり、かのスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』の準備中、密かに円谷作品を取り寄せて、研究を重ねていたという伝説もある。上映終了。私は、面白い映画を観た時にだけ味わえる心地好い疲労感を覚えながら、外に出る。怪獣襲来によって、幾度も壊滅した日本の首都は、春の雨に沈んでいた。数十年前、ここは瓦礫の山だった。怪獣映画が予言書めいた役割を果たす日が来ない事を祈りつつ、私は今夜の宿に急ぐ。空っぽの胃が酒と食物を要求していた。

(文中敬称略)

初出『奇魂』第五號「よろずえっせい(二)」(2002/07/07刊)

その三「反骨の武将」

日本各地で血みどろの闘いが繰り広げられていた戦国時代は、長い日本の歴史の中でも、最も野蛮な時期だったと言えるだろう。その反面、極めて個性的な人物が、全国にひしめいていた稀有な時代でもあった。

この時代の中心人物たる、信長、秀吉、家康の人気は未だに根強い。強烈な個性を備える彼ら三人は、物語の材料としては最適のものであろう。主役に据えても、敵役に回しても、絵になる名キャラクターである。

戦国時代の勝ち組と負け組が一堂に会し、大激突した最終決戦。それが「大阪冬ノ陣・夏ノ陣」である。

真田幸村はこの大戦で、豊臣方に属し、玉砕した。

冬ノ陣の時点で、豊臣家上層部には、まともな武将は零に等しく、最高幹部の淀殿は、戦術に関してはド素人以下。この状態で勝とうと言う方が無理な話である。

幸村は「アホには構ってられん」とばかりに、大阪城の南部に「真田丸」という小要塞を築き、東軍襲来に備えた。家康は、真田一族の戦巧者振りを熟知しており、真田丸の警戒を前衛部隊に促した。しかし、恩賞金しか頭にない徳川軍は、幸村の挑発に乗り、無謀にも真田丸に突撃を仕掛ける。幸村は敵勢をギリギリまで引きつけて、猛烈な銃撃を敢行。東軍を徹底的に叩きのめした。

絶望的な野外戦闘となった夏ノ陣においても、幸村は鬼神の如き働きを見せた。圧倒的な兵力差をものともせず、厳重な防衛網を突き崩して、ついには家康の本陣に斬り込んだのである。この時ばかりは、さしもの家康護衛団も大慌て。無様な醜態を晒したらしい。この奇襲の際、幸村軍が敵将の首を刎ねたという痛快な噂もある。

戦中、幸村は敵方から、寝返り要請を幾度も受けているが、全て断っている。多少の領地を貰ったくらいで、ホイホイ裏切るような見苦しい行為は、独自の美学を有する幸村にとって、最も忌むべき事だったに違いない。

反骨精神旺盛なこの武将を、中心人物に抜擢した物語は数多いが、B級マンガの帝王、横山光輝の『魔界衆』は如何だろうか。飛騨山中に潜む、謎の異能集団を巡る伝奇SFである。幸村は前半部の主人公を務めている。

真田幸村の壮烈な生き方は、私を魅了して止まない。

★『魔界衆』全二巻/横山光輝・講談社漫画文庫

初出『奇魂』第四號「よろずえっせい(一)」(2001/11/03刊)

その二「竜のいる店」

伊井藩の居城たる彦根城は、現在も古き時代の香りを残している。その外堀の近くに、その店はある。

看板には「釜揚げ・松吉」とある。

本格的な、蕎麦とうどんを食わせてくれる店である。

縄暖簾を潜り、店内に入ると「いらっしゃいませ」という低いが、良く通る声が出迎えてくれる。店の中は、カウンターで仕切ってあり、定員十数名と言った所だ。

厨房を覗くと、巨大な鉄釜が据えられている。

グラグラと湯が煮え滾り、湯気が盛んに立ち上ぼる。

立派な体格の主人が、茶を運んで来る。その際、客に注文を聞く。殆どの場合、私は笊蕎麦の大盛り頼む。

松吉の従業員はこの主人と奥方(と思われる)の二名のみ。内装は、余計なものは一切なく、隅々まで掃除が行き届いており、経営者の潔癖症振りを如実に物語る。

蕎麦が出来上がる少し前、ダシの器と、薬味(刻み葱と生姜)が入れられた金属製のケース、そして、良く冷えた生卵が客の前面に並べられる。私は、大量の葱と生姜を遠慮なくダシに投入し、最後に生卵を割り入れる。蕎麦通に言わせれば、生卵は「邪道」らしいが、私は気にしない。割箸を用意して、準備完了である。

そして、主役の登場である。一口啜れば、もう止まらない。後は、ノン・ストップで食べ尽くしてしまう。

蕎麦のダシと聞けば、甘辛の味を想像されると思う。しかし、松吉のダシは「辛口」とでも言うべき、コクのある独特な味を誇っている。蕎麦自体が美味しいのは勿論だが、蕎麦よりも、ダシの方に、私は惚れている。

食後、蕎麦湯の素朴な味を楽しんでいる間も、主人はその巨躯を若干持て余しながら、狭い店内を忙しく駆け巡っている。そして、カウンターに少しでも汚れがあると、布巾をさりげなく取り出し、それを除去する。必要最低限の言葉しか発せず、黙々と仕事に打ち込む彼の姿には、手練れの武芸者のような雰囲気が漂っている。

先日、松吉の蕎麦を、一心に食べる独りの少年を見かけた。通常なら、ファーストフードに通う年頃だろう。案外、この店の後継者に私は出会ったのかも知れない。

★松吉/滋賀県彦根市立花2‐37/0749(26)4991

初出『奇魂』第四號「よろずえっせい(一)」(2001/11/03刊)

その一「芝居見物に至るプロセス」

仕事の関係で関東方面に出張する事が多い。

例えば、一週間の出張だとすると、月曜日の明朝に、関東へ向かう。それが、社内における行動予定である。私の場合は少し違う。前日の日曜に宿泊所(主に東京)に入ってしまうのである。

都内劇場の芝居を観る為である。

私は滋賀県に在住しているが、東京の芝居を観ようと思えば、結構な金がかかる。だが、会社の出張を利用すると、費用は大幅に節約出来る。私は愛社精神のカケラもない不良社員だが、この件に関しては感謝している。

さて、ホテルに荷物を預けると、都内杉並区にある、小劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」を目指す。JR阿佐ヶ谷駅を下車。一分程度で到着である。演目は何でも構わない。開演時間を確かめ、準備中の劇団員を?まえて、当日券を購入する。この劇場では、所謂、有名劇団はまず来ない。チケットもこんな荒っぽい方法で入手可能なのだ。

一旦、劇場を離れ、駅前に戻る。腹拵えの為である。

阿佐ヶ谷は、とにかく飲食店の多い町である。ラーメン屋、カレーショップ、喫茶店、酒場等が、所狭しと、軒を連ねている。最近は、ハヤシライス程度で、軽く済ませる場合が多い。時計を見るとまだ時間がある。私は手近のカフェに入り、ビールを注文する。中瓶を飲み終える頃には、そろそろ入場時間である。私は席を立つ。

先程の券を渡して、コンクリート製の階段を下る。

ザムザは地下劇場である。荒削りの太い梁が天井を支えており、場内は板張りの土足厳禁。照明が暗く、やや歩き辛いが、これも趣があって良い。劇場の規模は、お世辞にも大きいとは言えず、百人も収容すれば、満員となる。階段状の客席には、座布団が置いてあり、観客は任意の場所に腰を降ろす。私はなるべく舞台に近い席を選ぶ。役者の演技に直に接する事が出来、迫力が違う。

いよいよ、開幕である。この劇場にかかる芝居は、既成概念をぶっ壊したものが多く、面白い。外れがない。

芝居が終り、余韻に浸りながら、飲む酒がまた旨い。

★ザムザ阿佐ヶ谷/東京都杉並区阿佐ヶ谷北2‐12‐21/03(5373)5780

初出『奇魂』第四號「よろずえっせい(一)」(2001/11/03刊)

hr

このサイトのコンテンツ

兇状旅のサイトについて

Copyright(c) H16〜 Bungei Kenkyu Jimukyoku. All rights reserved.

下部広告スペース

inserted by FC2 system