上部広告スペース

小説の渡り鳥1

『火の山』

先日。栗本薫の『グイン・サーガ第102巻/火の山』を読んだ。運命的遭遇を果たした豹頭王グインと黒太子スカール。二大英雄の冒険が続いている。一方、重傷を負った殺戮王イシュトヴァーン。どうにか勢力下にある城砦に避難したものの、満足な治療も施されないままに生死を彷徨う。グイン、スカール、イシュトヴァーン…いずれもこの物語の「鍵」となる重要人物ばかりである。これに《闇の司祭》と恐れられる黒魔道の巨匠(?)グラチウス翁が絡んでくるという贅沢な内容だ。まさに役者が揃っている。最近の『グイン』は連続活劇の見本のような怒涛の展開が繰り広げられており、チャンバラ好きとしては面白くて仕方がない。自然に読書スピードもググッと上がる。今回も瞬く間に読み終えてしまった。この続きは来月までお預けというのだから殺生である。但し文明国の大宮廷を舞台にした陰謀劇が始まると、途端に速度が落ちてしまう。まあ。薫君お得意のクネクネワールドも悪くはないのだが、これが何巻も重ねられると流石にしんどくなってくる。シリーズ最大の策士たるアルド・ナリスが存命中は殊に「クネクネ度」が高かった。しかし彼の没後はグインを筆頭にサムライ系のキャラクターの活躍が目立つようになった。良い傾向だ。この調子で突っ走ってもらいたい。ところでグイン最強のライバル(の筈)である竜王ヤンダル・ゾッグは今どうしているのだろうか?自国で勃発した大規模反乱の鎮圧に追われているそうだが、たまには顔を出して欲しいものである。とは言え、これ以上主役級のキャラクターを出演させるとさしもの鬼才も収集がつかないか。

前回の山場であるグイン対イシュトヴァーンの対決。その際、脇腹をグインの刃にブチ抜かれたイシュトヴァーン。異常に悪運の強い男だけに死ぬ事はなかったが、苦痛と高熱に苦しめられる事になる。驚くべき事に彼の軍勢には医者が同行しておらず、総大将の治療もままならない。戦闘能力には秀でているが、この軍勢を構成しているのは大半が若造であり、皮肉な見方をすればチンピラやゴロツキの寄せ集めである。かの殺戮王が自ら鍛え上げたお陰で何とか「軍隊」の体裁を保ってはいるが、いざ大将がやられると選手層の薄さ、各員の頭の悪さが露呈し、たちまち烏合の衆と化す。イシュトヴァーンの力でどうにか持ち堪えているワンマンチーム。世界一凶暴で世界一脆い軍隊と言えよう。イシュトヴァーン軍の殲滅を狙っている者にとっては絶好のチャンスである。頑張れ。朦朧とした意識の中で亡霊の群れに苛まれるイシュトヴァーン。この男ほど怨霊悪霊の類に縁のある者はいないのだ。久々に変態軍師アリストートスも登場。イシュトヴァーンを地獄の釜に引き摺り込もうと奮闘するが惜しくも失敗する。辛うじて一命を取り留めた殺戮王。今回の経験で毒気が抜かれたのか、多少性格が温厚になったようである。今後は国造りに専念なさるそうである。何しろ言う事もやる事もコロコロ変わる男なので急に殊勝になってもらっても無気味なだけ。善政を目指すのは結構だが、国民の王様に対する不信感は根深い。政治にせよ営業にせよ失った信用を回復するのは容易な事ではないのだ。この状況を挽回するにはゴーラ政府唯一の傑物であるカメロン宰相の力を借りるしかないだろう。とりあえずはお手並拝見だが、余りイシュトヴァーンが良い子になっちゃうのも困るなあ。彼はスカールの仇敵としてとことん憎々しい存在であるのが望ましいのだが…ってファン心理というのは本当に勝手だねえ。ただ、幾ら反省しようが後悔しようが彼の積み上げてきた罪や悪行は永久に消えないという事だけは確かである。彼の剣によって血の海に沈んだ者は数知れず。その怨念は彼の背中にベッタリと貼りついているのだ。

グイン&スカール。世界にその名を轟かせる二大戦士に空前の山火事が襲いかかる。豹頭王の鬼神の如き活躍によりイシュトヴァーン軍を撃退したものの、それを上回る危機の到来である。まるでこの世の全てを焼き尽くそうとするかのような火勢にさしもの両雄も逃げ回るしか手がない。如何なる強敵難敵であろうと、それが人間ならこの二人に敵う者はまず存在しない。しかし相手が山火事となれば話は別である。世界最強の戦士と言えど炎を断ち斬る事は不可能である。スカールの部下も弱った者から順番に猛火の餌食となった。波乱に満ちた黒太子の人生の中でも最大級の緊急事態と言える。にも関わらず、どういう訳かスカールはグインに一騎討ちを申し出るのだった。このややこしい時に更にややこしい事を我らが黒太子ともあろう者が何故に言い出すのか?その真意は読者もグインも図りかねたが、両者の激しいやり取りを通して徐々に明らかになる仕掛けだ。スカールの謎の行動には病んだ戦士の狂おしい願いと限りない優しさが秘められていたのである。それはそれとして、グインとスカールはどちらが強いのか?という我々読者が長年抱いていたゾクゾクするような疑問に回答が下される時がついにやって来たのである。座頭市と用心棒、宮本武蔵と柳生十兵衛、山田太郎と中西球道、デビルマンとマジンガーZ…主人公と主人公が戦ったらどうなるか?という物語世界自体を破壊しかねないこのテーマは他のジャンルでも散々描かれてきた。俺も何度か遭遇してきたし、結果の予想も大体つくが、やはり「夢の対決」というのはいつ見ても興奮する。豹頭王と黒太子の激突の行方は伏せておくが、かなり意外な展開が用意されているので期待しておいて良いだろう。今回はシリーズ屈指のスペクタクル篇だが、幕切れも鮮やかであり、読後感も気持ちが好い。作者の充実振りを如実に示している。現代の語り部は、未だ健在、意気軒昂。鋭利な筆致でまだまだ俺達の度肝を抜いてくれそうである。物語中盤、グインの「俺は体に炎が燃えついて体が燃え出したとしても、最後の息が止まるまでは、これで本当の駄目だとは信じぬ」というグインの台詞が印象に残る。俺達凡人が大丈夫の心意気に準ずるのは極めて難しいが、せめてその何十分の一だけでも見習いたい。ほろ酔い加減のセンセイ方がどう考えているのかは不明だが、我が国では年間3万人を超える自殺者が出ているそうな。まあ。負け組の連中が死のうが生きようが彼らは興味がないのかも知れないね。人生は辛いし、益々生き難い世の中になっている。だが首を吊るのは最後の最後でいい。当り前の話だけど死んだらオシマイだ。生きてさえいれば反撃の機会も巡ってくる。どんなにブザマでも生き延びる事を優先しよう。死ぬな。

(2005/07/18)

『北の豹、南の鷹』

先日。栗本薫の『グイン・サーガ第101巻/北の豹、南の鷹』を読んだ。草原の勇者。快男児スカール、久々の登場である。忌まわしい死霊の群れに包囲されたグインを救うべく、颯爽と斬り込んできた黒衣の一団。スカールの親衛隊である。中原全土を震撼させているゴーラの殺人王イシュトヴァーン。スカールとその一党は彼の首級を狙っている。盗賊上がりのイシュトヴァーンだがジワジワと勢力を拡大。今やゴーラに対抗可能な国家は北の強国ケイロニアだけと言われている。そんな大物を仕留めようというのだから大変である。スカールも部下達も命は捨てている。相討ちで充分。例え刺し違えてでもイシュトヴァーンを地獄に引き摺り込めれば満足なのである。何故にそこまでイシュトヴァーンの首にこだわるのか。その理由が愛した女の無念を晴らす為というのが泣かせる。長く激しい闘争と流転の末、スカール軍はその数を大幅に減じている。僅かに90騎。最早軍勢とは言い難い数字だが、その士気は異常に高い。全ての者が馬術、剣術に秀でた猛者どもであり、主人たるスカールに絶対の忠誠を誓っている。服装外見は野盗同然でも、その内面はサムライの精神が熱く燃えている。まさに少数精鋭。地位も名誉も投げ捨てて仇敵を追うスカールの執念も凄いが、それに従う部下も凄い。イシュトヴァーンを殺す。彼らはその悲願を遂げる事のみを考え、行動している。大草原を自由奔放に駆け巡っていた騎馬民族はいつしか恐るべき復讐軍団と化していたのだった。

豹頭王グインと黒太子スカール。この物語を代表するスターキャラクターだが、彼らが対面するのは今回が初めてである。この二人がいつどのような形で出会うのか?俺の興味の大半はそれに集中していたのだが、ついに待望の英雄邂逅が実現したのだった。感無量の心境である。それにしても長かったな。まだかまだかと待ちかねている内に巻数が100を超えちまったよ。外伝を加えたら120だぜ。現在のグインは一切の記憶を喪失しているので、当然スカールに関する知識も情報も皆無である。一方のスカールは世界最強の戦士、豹頭の英雄グインとの遭遇に喜びが隠せない様子であった。スカールは女子供を虐殺するゴーラ軍の真っ只中へ単身で突っ込むグインの勇姿を目撃している。阿修羅降臨。桁外れの戦闘能力に加えて並外れた正義感。さしものスカールもグインの常軌を逸した活躍には魂消たと思われる。彼としては生まれて初めて会った「自分を超える男」だったに違いない。これだけの傑物を死霊などの餌食にして良い筈がない。豹頭王を救出する。スカールの決断は早かった。ところでこの「死霊=ゾンビー」だが、第101巻を読んでいて自分が勘違いをしている事に気づいた。彼らはルードの森固有の怪物ではなく、邪悪な黒魔術が操る傀儡であった。どうやら「屍食い=グール族」と混同していたようだ。ここに訂正をしておく。

さて話を本筋に戻そう。当初はスカールの正体がわからず、警戒心を解かなかったグインだったが、義侠心に富んだ彼の行動や言動に胸を打たれ、次第に信用を深めるのであった。英雄は英雄を知ると言ったところかな。両雄のやり取りを聞いていると、真の友情には時間も言葉も然程必要ない事がよくわかる。豪傑同士の会話は楽しいし、気持ちが良い。宮本武蔵と柳生十兵衛が喋っているようなものである。無事ルードの森を脱出したグインとスカール。だが敵もさる者。グインの動きを察知したイシュトヴァーンは全軍に追撃を命じる。圧倒的な敵勢を前にして「ここは俺に任せて、お前は逃げろ」という意味の事を絶叫し合う両雄。互いに相手の器量力量を認めて、尊重している結果なのだが、二人とも途轍もなく頑固なので相手の主張を絶対に受け入れようとしないのである。これから絶望的な戦いが開始されようとしている時に、まるで子供のようにわあわあ怒鳴り合う二豪傑の姿が妙におかしい。緊迫感漲る場面なのに何処かユーモラスでもある。こういう場面が俺は大好きである。これは黒澤映画でも時々見られる現象だが、栗本作品でもかなり頻繁に現れる。この辺りも『グイン』が俺を惹きつける要因のひとつと言えよう。実際、各巻の後書き等を読んでいると栗本が「黒澤明」の名を口にする事がある。女性作家が書いたとは思えないほど、彼女の作品には男臭い男が多く登場するが、これも案外黒澤映画の影響なのかも知れない。

『グイン』は各巻、四つの小エピソードによって構成されている。例えば今回だと…第1話「まぼろしの民」第2話「カルラアの呼び声」第3話「炎の対決」第4話「北の豹、南の鷹」…と言った具合である。第1話ではグインとスカールの邂逅→ルードの森脱出→イシュトヴァーン軍の出現が描かれている。怒涛の展開が続いて、息をもつかせない。物語のボルテージは最高潮に達する。達するが第2話で一旦ペースを落とすのが栗本作劇術の巧みさである。こちらとしては第1話の「先」が読みたくてウズウズしているのだが、敢えて別のエピソードを織り込み、更に読者の興味と期待を煽るという仕掛けである。ついでに今後の展開に関連してくる伏線や布石も張られている。第3話で物語は再加速する。頂上決戦。グイン、スカール、イシュトヴァーンが三つ巴の大剣戟を繰り広げる。第101巻最大の見せ場と言えるだろう。第4話ではスカールを蝕む病魔について詳しく語られている。栗本ならではの壮絶な病状描写が重ねられており、スカールファンとしては相当辛い。何とか治癒して欲しいが、恐らくそれはないだろう。主役級のキャラクターにこれでもかこれでもかと過酷な運命を用意するのが栗本のやり方なのである。毎回感じる事だが、各エピソードの配置が実に鮮やかである。映画に例えるなら「編集が巧い」という事になる。栗本は吟味推敲とは縁がなく(失礼!)筆(本能?)の赴くままに一気に書き上げるタイプの小説家と聞いている。執筆を進めるのと同時進行で彼女の脳内では猛烈な編集作業が行われているのだろう。連続活劇のお手本とでも言うべきか、今読み終えたばかりなのにすぐにでも続きが読みたくなる。小説にせよ映画にせよマンガにせよ娯楽作家を目指す者は是非この呼吸を見習ってもらいたい。その為には多くの優れた作品に接する必要がある。どのジャンルを見渡しても「無」から「有」を生み出す才能を持つ者は稀である。黒澤天皇さえ「俺の作品は過去の映画記憶の集積である」と言っている。栗本も無数の名作(長篇が多いとか)を読みこなした上で『グイン』を書いているのだ。天才鬼才と称えられる彼らでも努力研鑽を積んでいる。凡才鈍才なら尚更だろう。特に現在はオリジナリティを発揮するのが至難の時代である。どれだけ面白い作品を知っているか。勿論知っているだけでは駄目である。それら名作の要素や旨味をどれだけ自作に反映させる事が出来るのか。鋭利な応用力、瞬発力が求められる。それが勝負の分かれ目となるだろう。さてさて、巨大戦艦『グイン・サーガ』は100代という未曾有の領域に突入した。この物語がいつ完結するのか、それとも未完で終わるのか、それは作者にもわからない。俺は命が続く限りはつき合う心算である。もしあなたがこの駄文を読んで『グイン』に関心を抱いたなら、明日にでも本屋さんに行って、第1巻『豹頭の仮面』を注文して下さい。船に乗るなら早い方がいい。

(2005/05/14)

『豹頭王の試練』

今、俺の手元に『グイン・サーガ第100巻/豹頭王の試練』がある。先週開催された「百の大典」の折に購入したものである。表紙を捲った扉の部分に黒マジックで「くりもとかおる」のサインが記されている。短時間で沢山の本にサインを施した為だろうか。その筆致はやや荒っぽい。勢い余って筆先が外に飛び出したらしく、本の小口にもインクの跡が付着している。ただ、これはこれで味があって良いかなとも思う。最近になって物欲という名の呪縛を振り切る事に成功した俺だが、このサイン本に限っては中々手放せないだろう。この後、俺にどんな運命が用意されているのかはわからないが(多分ロクでもない内容だと思うが)その傍らには常に『豹頭王の試練』が控えている筈である。俺としては大切な宝物だ。それにしてもこの物語は「100」という驚異的な数字を刻んでも一向に終息する気配すらない。前々から感じていた事だが、どうやら『グイン・サーガ』は独自の生命を持つに至った様子である。その成長発展増殖は最早作者にも制御不可能なレベルにまで達しているらしい。私が書いているのではなく「私が物語に書かされている」という表現を栗本薫は時々用いるのだが、まさにそんな感じである。その生産能力も加速を極めており、101巻、102巻と順調に脱稿していると聞いている。そんな訳で暫くは『月刊グイン』が楽しめる模様である。常軌を逸したペースである。イラストレーターが悲鳴を上げるのも頷ける。俺達読者は無論大歓迎だけど。

さて記念すべき第100巻のお話だが、我らがスーパーヒーローがかつてない窮地を迎えている。サブタイトルにもあるように文字通りの試練が次々とグインに襲いかかる。記憶喪失というダメージが大きく響いてきた。かの豹頭王は精神的に相当参っている。ここまで恐怖に震える主人公が描写されるのは長いシリーズの中でも初めてではないだろうか。グインは狂王イシュトヴァーンの掌中にある。正常なグインなら、例え単騎であろうともイシュトヴァーン軍を壊滅させる事も出来よう。しかし今のグインにはその気迫や気力に欠けている。自分に関する噂や情報を得る度に「俺はそんなに凄い奴だったのか?」と戸惑う有様である。それにイシュトヴァーンの追求も益々激しさを増している。前回、グインが軍内からの脱出を試みた事が余程気に触ったらしい。イシュトヴァーンは拘束状態のグインを首都イシュタールに連行し、そのまま地下牢に監禁しようと考えている。またしてもビョーキ発動である。自分よりも優れた人物を独占したい(虐げたい?)という子供じみた偏執性。やはりこの男は気が狂っている。以前にも病身のアルド・ナリスを意味もなく引っ張り回した挙句にその死期を早めたという悪しき実績が彼にはあるのだ。そして、その事について反省したり後悔したりしないのがイシュトヴァーンのおぞましさである。まあ。あの際は《強力な黒魔道師》のマインドコントロールを受けていたので、全て彼の責任とは言い切れないのだが。今回はグインの変調に疑念を抱くイシュトヴァーンの攻撃が繰り広げられる。流石に裸一貫の風来坊から曲がりなりにも「王様」と呼ばれるポジションにのし上がっただけの事はある。知能指数はそんなに高くはないものの、この男は丸っきりのアホではない。人生経験や戦闘経験が豊かなのは確かであり、鋭い洞察力も備えている。記憶を失ったグインには絶対に回答不可能な質問をイシュトヴァーンが浴びせた場面はかなりハラハラさせられた。弱点痛撃!ついにグインの秘密がバレてしまうのか?と思わせる瞬間であった。しかし《ある人物》の援護射撃のお陰でどうにかこの危地は回避する事が出来たのだった。手に汗握る展開であり、この緊張感がたまらない。刀で斬り合うばかりが活劇ではない。栗本アクションの本領はむしろ舌戦論戦頭脳戦の面白さにあるように思う。

現在、イシュトヴァーンの軍勢は魑魅魍魎の版図たるルードの森を移動している。先発隊が道を切り開き、本隊がその跡を進むという状況である。脱出するとすれば今が好機である。あれこれと悩み迷っていたグインだが、このままイシュタールに入城されてしまうと話はもっとややこしくなる。豹頭王は決断する。2度目の逃走である。今度捕まれば如何にグインと言えどただでは済むまい。殺戮王の拷問に晒されるのは明らかだ。見張りの兵士を万力のような腕力で絞め殺したグインは武器を奪った上で、妖怪変化の住まう密林へと身を投じるのであった。夜間にルードの森を彷徨う事は自殺行為に等しい。これは世界最強の戦士だからこそ可能な荒業であろう。グイン脱走を感知したイシュトヴァーン軍は早速捜索隊を組織してグインを追う。大木の裏側に潜伏してそれを交わそうとするグインだが、その前に新たな強敵が出現する。死霊の大群である。ルード名物の怪物ども。その肉体は腐り果て異様な臭気を周囲に放っている。新鮮な血肉を求めて奴らは何処までも追いかけて来る。悪夢もしくは地獄の中から抜け出してきたかのような連中である。決死の反撃を開始するグインだが、斬っても斬っても続々と新手が現れ、ジワジワと包囲を狭めてくる。何しろ一度死んだ奴らなので殺しようがないのである。キリがないとはこの事だ。難敵相手にさしもの超戦士の太刀筋も鈍り始める。ここまでか…。グインが覚悟を決めようとしたその瞬間、予想外の援軍が彼を救ったのである。絶妙のタイミングで斬り込んできた者の正体は…そう。それは《彼》であった。とうとう来たか。ああ。長かった。本当に長かった。この大冒険活劇の門を潜ってから既に8年が経つが「この時」をどれだけ待ちかねた事か。神出鬼没にして不撓不屈。グインに匹敵する個性と将器を誇る豪傑。映像化反対を唱えつつも、俺は《彼》に千葉真一のイメージを重ね合わせて読んでいた。風貌と言い性格と言い運動神経と言い配役条件が揃い過ぎている。贅沢を言えば『柳生一族の陰謀』『戦国自衛隊』『魔界転生』等で活躍していた頃の千葉ちゃんに演じて欲しかった。まさに適役、ピタリと嵌ると思うぜ。自動的に《彼》の親衛隊、旗本隊はJACのメンバーに演(や)ってもらう事になるな。さてさて、この歴史的対面が今後の物語に如何なる影響を及ぼすのだろうか。大台到達エピソードの最後を飾るに相応しい怒涛の展開。栗本一流の粋な演出だ。続きが読みたい。無性に読みたい。死ぬほど読みたい。うぎゃー。またしても禁断症状に転げ回る俺であった。全スカール(あっ。言っちゃった!)ファン待望の第101巻。そのタイトルは『北の豹、南の鷹』になるそうである。心して待て!

(2005/04/19)

『鷹と狼と竜』

小説にせよ映画にせよマンガにせよ、俺は脇役敵役が気になるタチである。無論『グイン・サーガ』もその例外ではない。この長大な小説にはあらゆるタイプのキャラクターが登場する。個性豊かな人物が複雑怪奇に絡み合い、重層的な物語世界を構築している。余りにも複雑過ぎて作者自身も整理や把握が出来ていない面もあるぐらいである。果たしてこの物語には何人の登場人物が存在するのか?熱心なファンの中にはいちいち勘定している人もいると聞いている。生来のがさつ者である俺には到底真似の出来ない芸当である。アウトロー要素が濃いキャラクターに強く惹かれる。男っぽいキャラクターに憧憬を覚える。恐らく自分という人間が「男らしい男」から余りにもかけ離れているからではないかと思う。実際の話、俺ほどナヨナヨした男も珍しい。餓鬼の頃なんて自分は「女」じゃないだろうか。もしかして性別を間違えて生まれてきたんじゃなかろうかと真剣に悩んだものだ。俺のイメージする「男」とは「侍」とほぼ同義語である。そう。黒澤映画に登場する勇猛果敢なサムライ達である。如何なる困難に直面しても焦らず怯まず、常に冷静沈着な判断を下し、義侠心に厚く、戦いにおいては鬼神の強さを発揮する。それが男という者である。えっ。そんなのは流行らないって?黙れ黙れ黙れ。例え化石だアナクロだと罵られようが、俺の知った事か。好きなものは好きなのだ。時代を超えたカッコ良さというものがこの世には確実に存在するのだ。文句あるか。困った事だが、グインワールドには我が嗜好と合致する人物が案外少ない。大主人公たるグインは別格としても、舞台に出てくるだけで嬉しくなるような「役者」となると数えるほどである。数人か、甘く見て10人程度だろうか。クネクネとした回りくどい思考策謀を巡らせる連中は大勢いるのだが。黒太子スカール、カメロン船長、竜王ヤンダル・ゾッグ。この3キャラクターは無条件に好きである。各々物語を背負うに足る個性と風格を備えており、他の小説なら主役を務める事が充分可能だろう。彼らに豹頭王を加えた4人が俺の選ぶ《グイン・サーガ四天王》となる。独断と偏見は承知の上。

黒太子スカール。男っぽさに関してはグイン以上と言えるかも知れない。機動力抜群の騎馬民族を従えて、神出鬼没の行動を展開する男。常識という物差しでは計り難い意外性に富んだ人物である。戦場では軍団の特性を利用した奇襲強襲を得意としている。スカール本人も優秀な戦士であり、この男と互角の剣戟を演じられる者は世界にも何人とはいないだろう。刀剣の扱いだけでなく、格闘能力にも長けている。素手の勝負はむしろ望むところだ。その恐るべき腕力に痛い目に遭わされた奴も少なくない。こう書くと喧嘩しか能のない荒武者、猪武者の類のようだが決してそうではない。ワイルドな風貌や言動の奥には高い知性が隠されている。第25巻『パロのワルツ』にてスカールの頭の良さが証明された。世界最高の文化国家にして魔導国家たるパロ。病身のスカールはかの国の象徴的人物たるアルド・ナリスと激しい舌戦論戦を繰り広げる。己が頭脳に絶対の自信を持っているナリスの鼻っ柱が折られる場面は痛快でさえあった。戦いの最中にスカールが漏らした後悔の言葉。人外魔境ノスフェラスの探検中に彼は多くの部下を死なせている。そして自分だけが生き残ってしまった事を深く悔いている。それまで血も涙もない狂戦士とばかり思っていたスカールが見せた予想外の優しさだった。大好きなエピソードであり、何度読み返したかわからない。飼い馴らされた家畜の群れに突如野生の虎が踊り込んだような面白さがある。歴史と教養と偽善に満ちた爛熟都市パロ。この街ほど自由人スカールを苛立たせる場所も稀だろう。イライラの募ったスカールは平和に酔う貴族王族を鋭利な舌鋒で当るを幸い斬り伏せる。如何なる境遇にあっても自分のスタイルを変えない黒太子殿に拍手を送りたい。

スカールは眼前で愛妻を斬殺されるという陰惨な過去を持っている。ノスフェラス踏破の後、帰国の途中に起きた惨事であった。一生の不覚。仕掛けたのは盗賊時代のイシュトヴァーンである。以来、スカールは不倶戴天の宿敵としてイシュトヴァーンを追っている。苛烈な運命の変転を経て、両強豪は第83巻『嵐の獅子たち』にて堂々の一騎討ちに及ぶ。復讐鬼vs殺人鬼の死闘である。この際のスカールの迫力は凄かった。サムライの面子も建前もかなぐり捨ててイシュトヴァーンに襲いかかったのだ。何が何でも妻敵を殺そうという執念を感じさせる戦い振りであった。終始スカール優勢の決闘だったが、結果は引き分けに終ってしまった。形勢不利を悟ったイシュトヴァーンは卑劣にも逃亡を図る。武人としてこれほど見苦しい行為はない。無様な王様もいたものである。御大将の醜態を目撃した騎士団員が未だにイシュトヴァーンに忠誠を誓っているのは何故なのか?俺にはよくわからないし、明確な説明も受けていない。今回はイシュトヴァーン御自慢の顔を短刀で切り裂くに止まったスカール。次回対決の折は仇敵の首を見事刎ね飛ばしてもらいたい。それが世の為、世界平和の為でもあるのだが、心配な事がひとつある。スカールは被曝している。秘境遠征の際に高濃度の放射能を浴びてしまったのだ。この世界の医療技術では本復はまず期待出来ない。現在は《闇の司祭》と呼ばれる黒魔導師グラチウスの怪しげな治療によって復調しているものの、その効果も一時的なものらしい。間もなくこの反動が彼を襲うだろう。どうやら彼の肉体は悪質の癌に侵されているようなのだ。その前に何とか本懐を遂げて欲しい。ただ作者の愛着は完全にイシュトヴァーンに向いているからなあ。実際は難しいだろうな。それでも、いや、だからこそ俺はこの野生児を最後まで応援するぞ。ところで、スカールはかの豹頭王と一度も会っていない。第100巻まで残り1巻という所まで物語を紡いできたというのに。グイン活躍の情報は当然スカールの耳にも届いている。そして、どうやら彼はグインの行動ややり方を非常に好ましく思っているようだ。因みにイシュトヴァーンは「女子供しか殺せないゲス野郎」という散々な評価でした。一方のグインも会ってみたい武将の一人としてスカールの名を挙げていた。この二大勇者の運命が交錯する時「世界は何らかの変化が起きる」とされている。その「変化」とは一体何か。迂闊な事は言えないが、とにかく両雄の対面はこの長い長い物語の中でも重要な山場になる事は間違いない。スカールとグインが酒を酌み交わす場面を読むまでは俺は死ねない。鷹と豹の酒宴。面白いじゃないですか。同じ魂を持つ者同士、結構話が弾むんじゃないかな。考えるだけでワクワクしてくる。いつになるかわからないけど、来るべき「その時」に備えて、俺も美味しい酒を一本調達しておこう。

(2005/03/30)

『ルードの恩讐』

先月。栗本薫の『グイン・サーガ第99巻/ルードの恩讐』を読んだ。全100巻を目指す史上空前のシリーズもいよいよ大詰め…と言いたいところだが物語は益々意気軒昂。次の巻で完結する事はまず有り得ない。作者も読者も「どうやらこの小説は200巻を超えるらしい」と半ば本気で考えている。これが冗談に聞こえないのが栗本先生の恐ろしさ。全自動小説マシンの異名はダテじゃない。豹頭の超戦士グイン。彼こそがこの大々長篇小説の主人公であり、天才栗本が生んだ最強最大のヒーローである。記念すべき第1巻『豹頭の仮面』から、驚愕と神秘に満ちたグインの冒険は始まった。謎めいた風貌。桁外れの戦闘能力。知略に富んだ軍師の頭脳。そして溢れんばかりの正義感。グインの周りには自然に人(時には異界の住民)が集まってくる。彼には全ての者を引き寄せる不思議な魅力が備わっている。そのお陰で絶体絶命の窮地から幾度も脱出している。人望、人脈の厚さも彼の強力な武器のひとつと言えるだろう。まさに生まれながらの王様だ。僕が思うに人を率いる者にとって外見や容姿は余り重要ではない。人を動かす原動力は何と言ってもボスの人格にある。豹頭だろうが豚頭だろうが、そんなものは些細な事だ(但し、当人は相当苦にしている様子である)。僕だってもし叶うならグイン騎士団の末席に加えて欲しい。恐らく何の役にも立たないだろうけど。困っちゃうのは資質もないくせにグインを気取りたがる者が世の中には案外多いという事実である。威張り腐る事しか能のない大将の下で働く部下は大変である。気の弱い奴は即ノイローゼ。心療内科が満員になるという現象が発生する。駄目リーダーのやる行動パターンに「自分で自分を誉める」というのがあるが、もう最悪だね。誰も誉めてくれる奴がいないから自画自賛に走るのだろうけど、末期症状と判断して良い。そういう会社はこちらから見限ってやろうぜ…って、またぞろ脱線してますね。軌道修正しなきゃ。カタカタ。

無敵の英雄と呼ぶに相応しいグインではあるが、さしもの彼にも弱点がある。名前を除いて一切の記憶を失っているのだ。物語の導入部。グインは百鬼夜行が蠢くルードの森に忽然とその姿を現した。彼は「それ以前」に自分が何をしていたのかを全く覚えていなかった。不安と恐怖に苛まれるグイン。記憶がないという欠陥は彼ほどの豪傑中の豪傑をも震撼させるものなのか。僕なんか「失いたい記憶」が山ほどあるけどねえ。まあ、その話はいいか。俺は俺を探しに行く。この発言以降、グインは常軌を逸した行動力を発揮して僕達を喜ばせてくれる訳だけど、その裏には常に「自分が何者なのかを知りたい」という狂おしいまでの願いがあるのだ。物語の進行と共にある程度の情報は与えられたものの、グインの正体は不明な部分が多かった。ところが、第93巻『熱砂の冒険者』辺りから、グインに纏わる重要事項が次々に明らかとなり、いよいよ終盤戦突入か?と思わせたが、かの大英雄はまたしても記憶を喪失してしまうのである。難敵との過酷な戦いの果てに起きた悲劇であった。異次元生命体アモンを倒す為にグインは無理に無理を重ねた。その代償と言うか、副作用と言うか。彼は再び『豹頭の仮面』の頃と同じ境遇に陥る。ここまで来て「振り出しに戻る」かよ!とさしもの温厚(嘘)な僕も逆上したが、実はこれが作者の巧妙な仕掛けである事に暫くしてから気づいた。と言うのは、サーガ開始の時はグインも僕達も「この物語世界について何も知らない」状態であった。だが、今回は違う。グインが忘却した記憶を僕達は「知っている」のだ。彼がどのような冒険を経て、この世界最強の大国ケイロニアの王座に座ったのか。その間に彼が築いた人間関係も全部把握している。親友も股肱も敵対勢力も。この違いは途轍もなく大きい。未知の世界に放り込まれたグイン。記憶を喪失した故に発生するアクシデント。旧友との噛み合わない会話。読者は異常なもどかしさを感じつつ、彼の動静を見守っている。だが僕にはこのもどかしさが心地好い。このもどかしさを楽しむ余裕を持ちたい。グインは今「第2の冒険」に踏み出そうとしているのだ。それにしても先の展開が全然予想出来ない。作者の術中に見事ハマってしまった。まさか、こんな爆弾を用意しているとはね。栗本サンの悪魔的才能には白旗を掲げるしかない。

現在グインは《ゴーラの殺戮王》として近隣諸国に忌み嫌われるイシュトヴァーンの手に囚われている。イシュトヴァーンは第1巻から登場している主要キャラクターの一人である。元々は陽気な風来坊であったが、変態参謀アリストートスと組むようになってから性格が激変。最近は酷い酒乱であり、キ××イじみた愚行蛮行を繰り返す稀代の迷惑王である。僕などはこの不愉快男が出現する毎にイライラする。さっさと舞台から退場してくれないかなと思うのだが、強運と作者の寵愛に堅守された彼は当分くたばりそうもない。そんな僕でも少年時代のイシュトヴァーンは結構好きである。外伝第3巻『幽霊船』第6巻『ヴァラキアの少年』第17・18巻『宝島』におけるイシュトヴァーンの活躍は素晴らしい。この3篇は何度でも読み返したくなる名エピソードである。少年イシュトヴァーンはやってる事は無茶苦茶だが、何処か愛嬌があり、義侠心にも富んでいる。ああ。この頃の彼は一体何処へ消えてしまったのか…。グインとイシュトヴァーンは言わば腐れ縁で結ばれた仲だが、勿論今のグインにはその事はわからない。グインは記憶を失った事をイシュトヴァーンに悟られないように奮闘を続けている。イシュトヴァーンに対する第一印象が「かなり抜け目のなさそうな男」だったからである。限定断定を徹底的に避けるグインの会話技術は手練の営業マン顔負けだ。滑らかなチェンジ・オブ・ペース。普段の豹頭王は寡黙だが、喋る必要がある時は幾らでも喋る事が可能なのである。この後もグインは縁(ゆかり)の深い人物と再会してゆくのだろう。その際、彼が如何なる反応を示すのか?この体験が彼の今後の運命にどのような影響を及ぼすのか?どんなキッカケで彼の記憶が復活するのか?それは人なのか物なのか事件なのか?考えれば考えるほど面白く、興味は尽きない。ここ数年『グイン』は隔月という驚異的ペースで刊行されているが、それでもこちらは物足りない。早く続きが読みたいという強烈な欲望がムクムクと湧いてくるのだ。まるで発作である。本屋さんの店頭で『グイン』の新刊を見つけると未だにドキドキする。丹野忍(四代目絵師)が手掛ける華麗な表紙も美しい。こりゃ重度のグイン中毒だね。この前代未聞の小説がどのような形で幕を降ろすのか、勿論知りたいのだけど、そうなったらなったで物凄く寂しいだろうなとも思う。新刊を手にする度に僕の中で矛盾した感情が交錯する。ファン心理ってのはつくづく勝手なもんです。ともあれ、待望の第100巻(題名は『豹頭王の試練』とか)は来月上旬に発売の予定である。

(2005/03/25)

「図説/シャーロック・ホームズ」

先日。本棚の奥から「図説/シャーロック・ホームズ」という本を発掘した。随分前に購入したものである。我らが名探偵の性格・趣味・注目エピソードが満載されている。他にも、コナン・ドイルが連載していた当時の挿絵やら、現在のロンドンに存在するホームズ関連スポットやら、映像作品を含む多種多様なホームズグッズやらが、写真を駆使して紹介してある。ホームズファンには堪らない1冊であろう。文章に面白みが欠けるのが難だが。ぱらぱらと頁を捲っていた俺の手が止まる。77頁。そこには、ホームズとコカインの関係についての考察が述べられていた。昨年12月の佳澄様&尾崎君とのホームズ談義を俺は想い出した。佳澄様の御指摘通りであった。ホームズが生きた時代はコカインの依存性や危険性が明らかになっておらず、人々は強壮剤や興奮剤の類として遊び半分で使っていたそうな。ホームズも暇潰しか戯れとして、この「流行の品」を用いていたに過ぎないとあった。あの時俺は、迂闊にも彼の精神的弱さが、麻薬に走らせたのだろうなどと、全く見当違いの事を喚き散らしていた訳である。あー。恥ずかしい。入る穴がないので、今から掘ります。がりがり。因みに、コカインの有害性が証明された1892年以降、ホームズはその使用を中止しているそうである。

(2003/01/22)

『グイン・サーガ』は終わらない3

栗本薫の『グイン・サーガ』第87巻「ヤーンの時の時」が先日発売された。この長い長い物語もいよいよ佳境に突入。今までに積み重ねてきた人物描写や様々な伏線が徐々に作動を開始しており、中々興味深い。個性強烈なキャラクターが多数登場する『グイン』の中で、常に主役クラスの扱いを受けていた、頭脳明晰なる貴公子アルド・ナリス。彼が宿望していた、我らが大主人公グインとの会見が第87巻でついに果たされた。そしてその直後、彼は波乱に富んだその生涯を静かに閉じるのであった。ナリスはこの物語世界における文化の中心地パロの摂政を務めていた。そして彼の愛する誇り高き国は、異次元の侵略者の毒牙に狙われていた。侵略者の正体は、東方の国キタイを統べる竜王ヤンダル・ゾッグ。絶大なる魔力と竜頭の騎士軍団を有する強敵だ。物語中盤、ヤンダルの罠に落ちたナリスは、激しい拷問の末に片足を切断。それでも彼はヤンダルとの絶望的な闘いを繰り広げてきたのだった。そんなナリスの意思を引き継ぐ豹頭の超戦士グイン。竜王の支配下にあるパロに、グイン率いる連合軍が決戦を挑む。この闘いの行方は?もう一人の英雄、草原の勇者スカールとの対面はあるのか?そしてこの物語の肝、人跡未踏の大砂漠ノスフェラスに眠る〈星船〉の再起動は実現するのか?ここまで来たら問答無用。ついてゆくしかねえ。読者も大いに興奮してるけど、作者たる栗本薫が最も楽しんでいるような気がしないでもない。

(2002/12/21)

主人公は麻薬漬け

★ホームズなんて高飛車で実生活で会いたくないタイプの最たるものなのに(コカインやってるし(笑))、なんでそんな奴に皆憧れてしまうんでしょうね。ホームズの魅力が普遍的なのは何故でしょう?

何故なんだろうか。頭の悪い俺には分析出来ないな。ホームズの毒気は相棒のワトスンが随分浄化しているような気もする。彼が麻薬に逃げるという事は、それだけ精神的な弱さが彼の中にある証明。彼の数少ない「人間的部分」なのかも知れない。俺はホームズの自由人的な所に憧れるなあ。自分の知性と能力を駆使して怪事件を鮮やかに解決。面倒臭い後始末は無能な警察に任せて「後はよろしく」と去って行く。誰にも媚を売る必要のない男。世間のシガラミから超越した存在。こういうキャラクターに魅力を感じる人は俺だけではないと思う。俺が彼の活躍に胸躍らせたのは餓鬼の頃。小学校の図書館にある「ホームズ全集」を繰り返して読んだ記憶がある。勿論、子供向けに変換してあるので麻薬に溺れる描写は削られていた(と思う)。彼がコカイン常習者である事を知ったのは、随分後の話である。それとほぼ同時期に夢中になっていたのは、星新一のショートショート群だった。その中のひとつ「ちぐはぐな部品」という作品集に収録されていた『シャーロック・ホームズの内幕』には強烈な印象を受けた。この短篇のホームズとワトスンは、根性が歪んでいてカネにも汚いという徹底的に嫌な奴として描かれており、俺の抱いていた正義の名探偵のイメージを粉砕してくれた。だが、不思議な事にそれほど腹は立たなかった。パロディの面白さを俺に初めて教えてくれたのはあの作品ではないだろうか。江戸川乱歩の作品もそうだけど『シャーロック・ホームズ』に描写されている当時の雰囲気や風俗が俺は好きだ。トリックや犯人が判り切っているのにまた読んでしまうのは、そんな理由である。

(2002/12/16)

シャーロック・ホームズ記念館

曖昧な記憶を辿ろう。かの博物館は、ホームズの下宿と同一の住所に建てられている。入り口には、かの名探偵が活躍した時代の警官姿に扮したオヤジが客を迎えてくれる。入場料は日本円に換算して600円程度だったかな。1階はミュージアム・ショップ。店中が、ポストカードやら、映像資料やら、コナン・ドイルの伝記やら、各種グッズやらで埋め尽くされていた。シャーロキアンには垂涎ものの品揃えである。狭い木造階段をギシギシ昇って上階へ。2階はホームズの事務所が「忠実に再現」されている…との説明だが俺には一寸大雑把に感じた。その辺の古道具屋の商品を掻き集めてきたような印象を受ける。或いは「本物」とは意外に「嘘っぽい」ものなのだろうか?俺には判らねえ。このフロアには召使いのコスプレをした美女がおり、希望者にはソファに腰掛けた所を記念撮影してくれる。俺も図々しく1枚撮って貰った。ついでに彼女もぱちり。3階はシリーズの名場面を蝋人形を使って表現しているが…これも精密とは言い難い出来。熱心なファンなら怒り出すかも知れない。ここには、記帳用の分厚いノートが無造作に置いてある。好奇心にかられてパラパラと捲ってみる。ビッシリと書き込まれた各国の言語。世界中の旅行者が、このミニ博物館に訪問している事をそれは如実に語っていた。日本語も多い。俺が行った時(去年の夏)も半数近くが日本人観光客(大半が家族連れ)であった。かのノートに下手糞な字で己の名を刻む。根っからの俗物やなあ。俺って。色々と不満もあるが『シャーロック・ホームズ』に夢中になっていた頃の自分を想い出したりして、結構楽しかった。この個人経営の博物館は赤字に赤字を重ねて、相当厳しい運営状態という噂も聞いている。尾崎君。行くならお早めに。

(2002/12/16)

「グイン・サーガ」は終わらない2

今月と先月。連続して、栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズ外伝が発売された。タイトルは『宝島』である。スティーブンソンの作品とは直接的な関係はない(と思う)。本篇では〈ゴーラの僭王〉〈殺人王〉などと散々な評判の梟雄イシュトバーンが主役を務めている。俺の周囲には〈眠らない男〉と〈勇者アモン〉という2人の「グイン」読者がいるが、彼らの中では、イシュトバーンの人気は極めて低い。彼が登場する度に「鬱陶しい」「さっさと死ね」と罵声が飛ぶ。アモンなどは「奴が出てくると読書スピードが極端に落ちる」そうである。ところが、彼は作者のお気に入りのキャラクターの為、登場頻度が高いから厄介である。多分我らが大主人公たるグインよりも上であろう。かくいう俺も大嫌いである。

『宝島』は少年時代のイシュトバーンの物語である。沿海州出身の彼は近所の悪餓鬼どもを集めて、無謀な航海に乗り出す。目的は海賊クルドの血塗られた財宝。恐れを知らぬ彼らは、大胆にも海賊の版図に飛び込むが、世の中そうそう甘くない。イシュトバーンの手下達は、その大半が凶暴な海の無法者ども餌食となる。蹴飛ばされるわ、犯されるわ、焼き殺されるわ、食われるわで、さしもの無神経なイシュトバーンも失意のどん底。そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、この界隈を支配する〈黒い公爵〉の異名を誇るラドゥ・グレイであった。海賊の名門(?)に生まれたラドゥは、ヤクザ稼業を嫌って、学者先生を志すものの、文明地ではその黒い肌の為に激烈な差別を受ける。故に彼は夢を断念。故郷へと舞い戻り、消せない嫌悪感を胸に秘めつつ海賊の道を選ぶのだった。「グイン」ワールドの海の男と言えば、痛快オヤジたるカメロン提督をすぐに思い起こすが、今回登場したラドゥの陰惨な格好良さも悪くない。栗本の小説は物語の整合性にやや問題があるが、キャラクターの面白さでそれを補っている。作者特有のケレン味に富んだ文章も良い。新刊が出る毎に「この小説はいつになったら終わるねん」とブツブツ言いながらも、一旦読み始めると、ついつい物語世界へと引き摺り込まれてしまうのである。

(2002/11/23)

『バベル消滅』

昨年の今頃。飛鳥部勝則の『バベル消滅』を読んだ。この作者の小説を読むのはこれが初めて。タイトルと表紙のバベルの塔を見て、気紛れに購入したものである。架空の島を舞台にしたミステリーである。余り名作とは言えないが、文体が平易であり、推理小説としては禁じ手と思われる方法を敢えて採用しているのが面白かった。物語の中盤、主要登場人物の一人である中学生が「僕の謙虚さは自分を守るバリヤーです」と話すのが記憶に残っている。確かにそうかも知れない。丁寧な言葉と姿勢。それは他人に嫌われまいとする防御手段という一面がある。嫌われて、傷つけられるのが死ぬほど怖い。そんな人間が最近増えており、俺もその同類らしい。何故他人と衝突するのが恐ろしいのか?自分が詰まらない人間である事を認めたくないからだろう。自尊心の損害を少しでも減らしたいからだろう。極めて見苦しい行為である。だが、この世は強い人間ばかりではない。俺のような落伍者にすら自尊心は存在する。まあ、自尊心が全く無くても人は生きてゆけないと思うが。例のキ※※イアニメーションに登場した「君は安心出来る相手には容赦がないな」という痛烈な台詞。これも俺の心にグサリと突き刺さったまま、未だに抜けない。

(2002/10/13)

読書傾向

餓鬼の頃は図書館のSF全集を読み漁ったなー。ヴェルヌやらウエルズやらハインラインやらクラークやらの名作を、小学生向けに書き直したシリーズです。どれも娯楽風味を強調しており、血沸き肉踊りました。日本人作家では眉村卓のジュブナイル。星新一のショートショート。北杜夫(陳五郎様御推薦)のエッセイ。中学時代も似たような感じ。高校時代は筒井康隆にハマりました。その合間に阿刀田高の短編と随筆を。大学時代は本よりも映画中心。この間、栗本薫の『魔界水滸伝』シリーズを何とか読了しました。社会人になり、栗本の代表作『グイン・サーガ』に着手。出張中の電車内で読み耽りました。それに飽きると、司馬遼太郎の作品を少々。時代小説の面白さをようやく知りました。昨年後半から山田風太郎に凝っています。神林長平の長篇SFも捨て難いです。かりの様御贔屓の村上氏は残念ながら未経験。この頃、小説特有の面白さが一寸判ってきました。愚者代表の俺ですが、色んな作家の世界に入門して、少しは見識を広めたいものです。

(2002/10/11)

『グイン・サーガ』は終わらない

司馬遼太郎の『宮本武蔵』に続いて『グイン・サーガ』第85巻「蜃気楼の彼方」を読了。当初、全100巻を目標としていた超大河小説。その作品世界は作者・栗本薫の予測をも上回る異常な進化を遂げ、今や「全200巻説」が飛び出る有様である。この作品は大体3つのエピソードに分別する事が出来る。英雄豪傑が大暴れする〈ちゃんばら篇〉権謀術数が渦巻く〈くねくね篇〉殺戮が殺戮を呼ぶ〈どろどろ篇〉と言った具合である。今年発売された、第83巻「嵐の獅子たち」では〈ちゃんばら〉の準主役・黒太子スカールと〈どろどろ〉の主人公・殺人王イシュトバーンの一騎討ちが繰り広げられた。スカールは愛妻をイシュトバーンに斬り殺された過去があり、その復讐に燃えていた。ぶつかり合う刃と刃。読んでいるこちらの血も大いに滾る。敵討ちは冒険活劇の華。どちらか言えば、栗本薫は〈くねくねどろどろ〉が好みのようだ。その為、スカールの出番は極端に少ないが、大義名分よりも自分の意志を尊重するこの野生児に俺は憧れる。彼曰く「俺の主は俺自身。俺は俺の生きたいように生きる」は、1度で良いから吐いてみたい台詞である。その機会は恐らく無いだろうが。

(2002/06/26)

「グイン・サーガ」を君に

少し前の話になるが、今年の2月14日に、5名の美人社員から義理チョコを戴いた。昨年のホワイトデーは奮発して、ハンガリー産のワインを贈呈したが、今年は予算が極端に少ないので、本をプレゼントする事にした。彼女達は俺の数倍は頭が良さそうだが、読書とは余り縁がなさそうである(間違ってたら御免なさい)。さて、我が本棚を見渡すと…時代小説やSFが大半を占めており、女性が喜ぶであろうものは少数である。まして、相手は初心者。複雑な構成を有する作品や、分厚い長篇は、途中で投げ出される可能性が大きい。折角贈るのだから、最後まで読んで欲しい。迷っている内にだんだん訳がわからなくなってきた。結局、俺の最も好きな小説に落ち着いた。即ち、栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズである。その記念すべき、第1巻『豹頭の仮面』を書店に注文。それらを封筒に詰め、3月14日着信指定にて、各々の自宅に送付した。その後、読了したとの知らせは聞いていない。

(2002/06/07)

進まない計画

年間50冊の小説を読むというのが、自堕落な私の唯一の至上計画である。

その割には守った試しがない。本年は、近未来SFの王道を行く『ヴィーナス・シティ』に始まり『グイン』第83巻を読了してから『柳生忍法帖』を読み、筒井康隆のパニック超大作『霊長類南へ』を挟み『柳生十兵衛死す』を読破。その後、二階堂黎人の軽妙なミステリー『名探偵・水乃サトルの大冒険』を楽しんでから、星新一の『声の網』と山田正紀の『神狩り』という共に「神」をテーマにしたSF2篇を味わう。現在は『グイン』第84巻の、途中である。このペースだと、今年も計画未達に可能性が非常に高い。

今宵から旅に出る。文庫本はその必需品。山のように買い込んである小説を吟味するのは楽しい作業である。今回は「奇魂」の文案を練りつつの旅になると思う。

(2002/04/19)

「十兵衛3部作」

昨年から読み続けて来た、山田風太郎の「十兵衛三部作」をついに読了。

隻眼の剣士・柳生十兵衛が、続続と襲来する強敵を叩っ斬る娯楽巨編!

第1作『柳生忍法帖』第2作『魔界転生』第3作『柳生十兵衛死す』夫夫に、SFやホラーの面白さを大胆に取り込み、通常の時代劇では味わえない強烈な面白さを有しております。特に宮本武蔵を筆頭に、現実では絶対に有り得ない夢の対決が繰り広げられる第2作がお薦めです。このシリーズについては、いずれ『奇魂』かその種の雑誌で、その思いをぶちまけたいと考えております。千葉真一先生が大暴れする映画版も深作欣二らしい怪作。是非御賞味下さい。

(2002/04/11)

hr

このサイトのコンテンツ

兇状旅のサイトについて

Copyright(c)H16〜 Bungei Kenkyu Jimukyoku. All rights reserved.

下部広告スペース

inserted by FC2 system