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雑文集2

陳五郎が語り、珍獣王が唄う

その日の午後。俺はJR米原駅のホームを抜けて、在来線に乗り込み、京都で下車した。ここで地下鉄烏丸線に乗り換える。最寄り駅の丸田町を下車。1番出口から地上に出る。情報によれば、今夜のライブ会場《拾得》までは徒歩20分の距離だという。手帳に書き写してきた地図を見てもよくわからないので、素直に交番を訪ねる事にした。

親切な婦警さんの説明通りにテクテクと歩いてゆく。歩道から住宅街へ入ると、近所の餓鬼達が喚声をあげて、その辺りを走り回っていた。餓鬼はエネルギーの塊。とは言え、異常に元気である。そんな事を考えている内に、目的地に到着。ライブ開始時間より1時間以上も早く着いてしまった。まあ良いか。俺は構わず扉を開いた。後から聞いた話だが、この店は醤油屋さんの蔵か何かを改造したものだという。木造のガッシリとした構造。店内は微妙に薄暗く、独特の雰囲気を醸している。俺はふと杉並区の小劇場《ザムザ阿佐ヶ谷》を想い出した。異空間に共通した「匂い」のようなものを感じたのである。

今夜の席料を払い奥に進む。店の中央に設けられたステージには、様々な機材が搬入されていた。今夜の主役である《珍獣王国》のメンバー、そして我らが陳五郎御大&相棒の大城氏が顔を揃えていた。ライブの打ち合わせは既に終了しているようであった。客としてはどうやら俺が一番乗りらしい。俺は御大と挨拶を交わして、適当な席に着いた。ステージ真ん前の特等席とも言える場所であった。御大は《珍獣王国》と一緒に食事へ。おれもついて行こうかなと一瞬迷ったが、厚かましい行為のように思えたので、珍しく自制した。俺は鞄から文庫本を取り出し、時間まで読書に耽る事にした。とりあえず、珈琲を注文する。アルコールを摂取すると、本が読めなくなるからである。

夢枕獏の『神々の山嶺』の最終章を読了。御大はまだ帰らない。俺は酒を頼む事にした。その日は無性に日本酒が呑みたかった。まず、熱燗を注文する。次に酒肴を選ぶ。俺としては「冬季限定・おでん・一皿500円」に興味をそそられたのだが、このメニューの登場は来月以降とか。残念。仕様がねえ。チーズの盛り合わせとスルメでも食べるか。

夕刊を眺めつつ、手酌で呑んでいると、俺以外の客の姿が見え始めた。徐々に客席が埋まってゆく。疲れた体にアルコールが程好く廻り出す。いつのまにか、御大が俺の近くに座っておられた。他の席には贔屓客が何人か来ていると言うのに…御大の変わらぬ心遣いに涙がこぼれそうになった。あくまでも「そうになった」だけだが。店内はほぼ満席の状態になった。そろそろ頃合だった。

そして、間もなく《珍獣王国》&《みゅーず》のライブが開始されたのであった…。

(2003/11/03)

ハットリ・ハンゾウ

★タランティーノの『キル・ビル』はどう見てゐますか。ちよつと楽しみにしてゐるのですが。

俺もかなり期待してます。様々なジャンルが複雑に溶け込んだ映画になる事は間違いありません。予告篇を観た限りでは、時代劇風味のヤクザ映画という感じがしました。そして今回、ついに我らが千葉真一師匠が彼の作品に参戦します。役名はハットリ・ハンゾウ。職業は伝説的刀鍛冶。主人公が復讐に使うドスは、千葉師匠が鍛えた業物です。親切(お節介?)な師匠は、主演のユマ・サーマンに殺陣の手ほどきをしたとか。生身のアクションにこだわるタランティーノが如何なるチャンバラを観せてくれるのか?今秋最大の注目作だと思います。ただ、二部作になるという事で、間延びするのではないかと…それだけが心配です。

(2003/10/20)

チャールズ・ブロンソン

作品名も監督も全くわからないのですが…餓鬼の時、深夜放送でチャールズ・ブロンソンの主演映画を観ました。ブロンソンは末期癌に侵された保安官か何かの役だったと思います。ガラス瓶に入れられた液状タイプの薬(抗癌剤?)を不味そうに飲む場面が印象的でした。ブロンソンは自分の面貌が大嫌い(ついでにハリウッドも大嫌い)で、自分の出演作品はなるべく観ないようにしていたとか。ブロンソンは俺の好きなアウトロー映画に多数出演しているので、追い追い捉まえてゆきたいと思います。まずは『バラキ』から。

(2003/09/07)

第14回「石塔フェスティバル」3

午後7時。いよいよ「石塔フェスティバル」が開幕した。

この蒲生町最大のイベントの総合司会を務めるのは、BBC(びわ湖放送)の看板アナウンサー2人(男女1人づつ。男性の名前は忘れた。女性は例の李由美さん)である。男性アナウンサーの方は、この時期「高校野球ハイライト」に出演している(李由美さんも出てるのかな?)ので、滋賀県内では相当に顔が売れている。彼が舞台上に姿を現すと、予想外の歓声と拍手が会場を満たした。その瞬間、ローカル番組の影響力もバカにならねえなと思った。

寒いギャグ満載の前口上が終了。今夜の先鋒たる〈佐渡屋YELLOW BLUES BAND 〉の登場である。我らが陳五郎氏は〈佐渡屋〉の助っ人的存在。正面から見て、舞台中央に佐渡氏、右手にメインボーカル、左手には陳五郎氏…という布陣である。陳五郎氏の傍らには、佐渡氏の腹心とも言うべきギターマンが控えている。

演奏技術もさる事ながら、毒の利いたトークが佐渡氏の持ち味。今夜の佐渡氏は得意技を封印しており、意外に(?)まともな仕上がり。このイベントの為に作ってきたという新曲も披露して、余りブルース等には興味のなさそうな観客をもある程度魅了していた。

ぶしゅー。うわっ。ライブの途中、俺は隣に座っていた婆さんに突然スプレーを吹きかけられた。何事かと思ったら、虫除け剤であった。老婆は「この辺は薮蚊が多いでなあ」と笑っていた。田舎の人は親切だ。かくいう俺も田舎者だが。

僅か20数分で〈佐渡屋〉の出番は終った。やや物足りない気もするが、そういうプログラムなので仕方がない。短時間ではあったが、中身の濃いライブであった。与えられた枠内に手堅くまとめてしまう佐渡氏の手腕は流石だ。ライブのすぐ後に「陳五郎氏が消える?」という噂の手品ショーが始まる。その伴奏を〈佐渡屋〉の面々と陳五郎氏が担当。これも短い時間であったが、結構面白かった。然程珍しいマジックではないものの、ナマで見るとそれなりに迫力がある。陳五郎氏が消滅する事はついになかったが…。

ライブが始まる10分前「俺らは前座中の前座や。頑張ろうぜ」という佐渡氏の言葉が何故か心に残っている。

(2003/08/28)

第14回「石塔フェスティバル」2

第14回「石塔フェスティバル」のテーマは「炎」「石塔」そして「日韓親善」である。滋賀県は県内各地でユニークな祭事が受け継がれているが「日韓親善」をテーマに掲げている所はごく少数だと思う。もしかしたらここだけかも知れない。俺はこの日まで、蒲生町でこのようなイベントが催されているとは知りもしなかった。改めて自分の不勉強が情けない。

佐渡氏がスタッフとの打ち合わせに入ったので、俺はこの寺の名の由来である「石塔」を見に行く事にした。地元有志の屋台の前を通過して―焼き鳥の良い匂いが鼻を擽る―俺は「石塔」へと繋がる石段を目指した。

石段のスタート付近では爺ちゃんと婆ちゃんが蝋燭を売っていた。値段は志しで良いという。俺は100円玉を料金箱に放り込み、和蝋燭を1本受け取った。

数十段の石段を登り切ると、巨大な「石塔」が俺を待っていた。高さ数メートル。何やら『おそまつ君』のチビ太が持っているおでんを連想させるデザインである。その石塔の周りには無数のミニ石塔が並んでおり、幾つかの明松が焚かれていた。それなりに厳かな雰囲気が辺りを満たしている。蝋燭に火を点すのは、祭後半という事であった。俺は佐渡氏のライブを聴いたら帰宅する心算だったので、蝋燭を空いた蝋燭立てに指し、例の石段を下った。

会場に戻ると、祭の見物客がかなり増えていた。韓国の民族衣装に身を包んだ人も何人か混じっている。殆どが地元住民だと思われた。夕刻が迫っていた。俺は缶ビールとフライドポテトを購入すると、陳五郎氏のいる来賓席へと足を向けた。

(2003/08/26)

第14回「石塔フェスティバル」

その日。第14回「石塔フェスティバル」の主会場たる蒲生町石塔村に着いたのは、午後5時半頃であった。

既にイベントの舞台となる特設ステージが組まれており、地元有志と思われる人達が飲食物販売の準備を進めていた。大量に盛られた土を階段状に削り、その上に茣蓙が敷いてある。これが今夜の「観客席」になるらしい。

俺はまず陳五郎氏を探した。至極簡単に発見。かのブルースマンは、ステージ横手の来賓者用テントにいた。愛器の調整に余念がない。陳五郎氏の横に座り、暫く話していると、前方に佐渡氏らしき大柄の人物が現れた。

「佐渡さん。こんにちは」と声をかけると、佐渡氏は薄く笑って「おー。あんたか」と言う。この人は多分俺の名を知らない(覚えていない)。久々の再会であった。この前あったのは確か今年の冬。我が《九大天王》2名とエクアドル美人と共に〈ミューズ〉ライブに乗り込んだ夜であった。その日、佐渡氏は、ライブ会場近くのビデオ販売店(某ジャンル専門)の店番をしていたのであった。その店で俺は尾崎君推薦の『マトリックス』を購入したのだった。

「あの店、クビになったわ」と佐渡氏。度重なる居眠りがその原因とか。勿論、本人は少しも反省しておらず「あんなしょーもない仕事なんかアホらしくてやってられるかい」と吐き捨てる。その後、佐渡氏が以前携わっていた建築関係の営業技術についての説明が続く。ああ。この神経なら、何処へ行こうと何があろうと生きていけるんだろうな。大胆不敵。これもまた才能。常に周囲の顔色を伺いながら、ビクビクと生きる小心者には羨ましい限りであった。

佐渡氏は来賓席にいるブルースマン―その日の陳五郎氏は黒尽くめの服装をしていた―に視線を移すと「わはははは。お笑い芸人がギターをいじっとるで」と、ここで得意の毒舌が炸裂した。

この舌鋒がライブ時に火を噴くかどうか…イベント開始まで後1時間程であった。

(2003/08/25)

戦国武将占い2

最近は遠征が少なく、毎日登城するという退屈な日々を過ごしている。

先日、暇潰しの一環として、例の「戦国武将占い」を若手藩士を中心に試してみた。その人の生年月日のみで判定を下す占いなので、余り信憑性がないようにも思われるが、ズバリ的を射ている所もあり、中々に侮れない。藩士の中には、占星術や性格診断に詳しい者や興味のある者が相当数存在しており、この手の書物がよく売れる理由が解ったような気がする。さて診断結果だが…

【家康型】完全主義者。特別扱いが大好き…ねじ式・営業部Y君/計2名

【政宗型】独創的な考えの持主。自信過剰が裏目に出る場合も…営業部Oさん/計1名

【利家型】猪突猛進。常に前向きだが、持続力に欠ける…柳生宗矩・生産部M君/計2名

【元就型】正義感が強く、バランス感覚にも優れる…該当者なし。

【信長型】独創性と先鋭的センス。喜怒哀楽が激しい…QB/計1名

【謙信型】人望が厚く誰からも好かれるが、積極性に欠ける…該当者なし。

【信玄型】協調性を尊び、情報収集能力も抜群。好機を逃がす傾向がある…弁財天・元帥・鉄騎兵/計3名

【早雲型】オールラウンドプレイヤー。根拠のない自信が災いを呼ぶ…フォルスタッフ・アトラス/計2名

【光秀型】高い処理能力を誇るが、1度キレると手に負えない…宮村/計1名

【秀吉型】卓越した行動力と心遣い。先の見通しを立てるのが苦手…該当者なし。

【武蔵型】優秀な作戦家。奇襲を好む。一攫千金を夢見る性質がある…堀部安衛兵/計1名。

【幸村型】天才的な閃きの持主。好不調の波が激しい…該当者なし。

御覧のように、家康2・政宗1・信長1・信玄3・早雲2と、当藩は大将の資質を持った人がゴロゴロしており、利家2・光秀1と、サポートキャラ(武蔵1は別格)は少数である。俺などは及びもつかぬ個性強烈な藩士が多いので、これを束ねる人は相当な器量が要求されるだろう。お疲れ様です。

前にも書いたが、俺【光秀型】と好相性なのは(1)幸村(2)早雲(3)武蔵の3タイプ。具体的に言うと、後見人になってくれるのは(1)。(2)とは信頼関係が築ける。相談相手としては(3)が最適。今回の調査で(2)(3)を発見する事が出来た。フォルスタッフ&アトラスとは妙にウマが合うし、安衛兵の深い洞察力にはいつも感心している。これは占いをやる前から感じていた事である。

他の者も〈ねじ式〉を除けば、納得する部分が多く「戦国武将占い」の性能は高いぞと思ったが…唯ひとつ【光秀型】の要注意タイプとして【信玄型】が挙げられている所が気に食わねえ。理由は言うまでもないだろう。やはり、当たるも八卦、当たらぬも八卦か?

(2003/08/10)

家康、信長、光秀

★選択式の問題バージョンだとワシ、家康でした。

ははあ。さが様は【徳川家康】と出ましたか。俺の手元にある「戦国武将占い」でゆくと【家康タイプ】の性質は…堂々とした風格で、何処にいても目立つ人物。度量の大きさから多くの部下に慕われ、人望を集めます。特別扱いされるのが大好きで、多分に世間体を気にする傾向があります。完璧主義者なのもこのタイプの特徴。誰であろうと、失敗を見逃す事は出来ません。自分にも他人にも厳しい態度で接する人と言えます…どうでしょうか?思い当たる点があるでしょうか?

★理想はノブナガさまですが、天下統一するほどの器用さ&頭脳もないので自滅タイプでミツヒデかな?

因みに【織田信長タイプ】の診断も…独創性・先鋭的センスを備えており、スマートで何をやるにも機敏に立ち回り、どんなピンチに対しても、持前の正義感で乗り切ります。周囲の期待も高く、意気に感じて、献身的に相手の為に動く事もしばしば。但し、喜怒哀楽が激しく、時折、感情が表に出てしまい、トラブルに発展する事もあります。根に持つタイプの部下から、思わぬ反撃を受ける可能性があるので要注意。

続いて【明智光秀タイプ】ですが…このタイプの人は、妥協をせず、やると決めたら、最後までとことんやり遂げなくては気の済まない性格です。その代わり、過酷な状況にあっても敏速に対応し、物事を処理する能力があります。弱点は1度キレると手がつけられなくなる凶暴性を秘めている所です…と言う事らしいです。

何かの参考になれば幸いに存じます。

(2003/08/16)

侯孝賢の挑戦

◆「名前を聞いたこともありませんでした」「実は見たことなくて…」

◆小津を信奉する侯孝賢監督は苦笑ひ、日本の関係者は絶句だつたさうな。

俺も不勉強なので偉そうな事は言えませんが…

発表会場の雰囲気は相当寒くなったでしょうね。でも、中途半端に知っているぐらいなら、何も知らない方が良いような気もします。侯孝賢監督と言えば、黒澤明も認める実力派。確か『生きる』のLDに秀逸な推薦文を書いていた筈です。小津映画の幻影に惑わされる事なく、独自の世界を構築してもらいたいものです。それにしても「小津生誕100年記念作品」を異国の監督が撮る事になるとは…情けないような気もしますが、これも時流でしょうか。

(2003/07/26(Sat))

千葉が吼え、北大路がハジく

★観ました。すっかり忘却のかなたにあったシーンです。このわんわん食べるシーンはリアルですね。

ありがとうございます。こんなに早く観て戴けるとは感激です。

野口貴史と前田吟が野犬を捕まえてきて、親分(菅原文太)に食べさせる訳ですが、菅原が「お前らも食え」と言うと「いえ、結構です」と野口と前田が断る辺りがとてもユーモラス。あのシーンは取材に基づくものなのか、それとも全くの虚構なのか、一寸気になります。

犬狩りの他にも『広島死闘篇』は見所が多くて飽きません。

自身初の鬼畜役に挑んだ千葉真一師匠。そして、組織に翻弄される哀れな殺し屋に扮した北大路欣也。千葉&北大路の体当り演技は印象強烈です。両雄の凶暴性を巧みに引き出した深作欣二の手腕も見事としか言いようがありません。俳優も監督もまだ若く、野心に燃え滾っていた頃の映画です。

(2003/07/17)

「世紀末毒談」

北野武監督の新作『座頭市』が撮影を完了した。目下、編集作業の真っ最中。本年9月に全国公開される予定である。日本映画最強の怪優・勝新太郎最大の当たり役を、たけしがどう演じるのか?いや、どう崩して(遊んで)くれるのか?興味津々である。芸能界に君臨する二大梟雄…カツシン&たけし。スクリーンでの競演はついに果たせなかったが、両者には多少の交流があったらしい。

例のバイク事故でたけしが入院していた間。彼の人気連載「世紀末毒断」の代打に選ばれたのが、確かカツシンだった筈だ。良い人選だと思った。人生相談的な構成を採っており、各質問に対する豪快なのか無責任なのかわからない回答が、如何にもカツシンらしくて、何度か爆笑した記憶がある。連載途中、かの『影武者』騒動に触れる部分もあった。黒澤サイドの情報しか読んでいない俺にとっては、実に新鮮だった。勝には勝なりの論理があった事を、その時、初めて知った。

今週の「世紀末毒談」冒頭に、黒澤明が生前「たけしの座頭市も面白いな」と発言していたという箇所があるのだが、これは本当だろうか。初めて耳にする情報だが、もう少し詳しく聞いてみたいものである。

(2003/06/21)

ねじ式と安兵衛

今年の目玉映画のひとつ『マトリックス・リローテッド』の客足が上々との噂。先行上映に駆けつけた我が上司〈ねじ式〉によれば「話は面白くないけど、戦闘場面は凄い」という。ただ、ねじ式は前作を観ていないので、彼の意見を全面的に信用するのは危険かも知れない。もう1人、後輩の〈堀部安兵衛〉の感想は「最終作に繋げる為、無理矢理話を膨らませたのは明らか。2時間半は長い」と手厳しい。ねじ式も安兵衛も「出演者の印象が希薄」というのが共通の意見。モーフィアス役のローレンス・フィッシュバーンは頑張っているようだが。尾崎君に触発されて、俺も行かねばと考えていたが、2人に先を越されてしまった。

現在、篠田正浩の最終作(らしい)『スパイ・ゾルゲ』が公開中。この後に『ターミネーター3』『踊る大走査線2』『バトル・ロワイアル2』等、大作達が出陣を控えている。個人的には食欲が全く湧かないが―但し千葉師匠が特別出演する『BR2』は一寸観たい―各作品の宣伝部隊は多忙を極めているんだろうな。

今の所、たけしが取り組んでいる『座頭市』が最も気になる映画である。たけしの暴力描写は時として鬼気迫るものがある。彼の才能が時代劇というジャンルでどう炸裂するのか?折角の題材を生かし切れずに散った『魔界転生』『あずみ』の不満を吹き飛ばしてくれるような痛快作を期待している。

(2003/06/15)

十人十色

◆やはり原作を知っている人の目は一面的で厳しいですね。

小川氏の文章拝読。いやー。ぼこぼこに批判されていましたね。

俺も原作『魔界転生』の完成度は凄いと思います。あの長さにして、緊迫感が途切れる瞬間が殆ど無いのだから大したものです。前半部分は魔剣士軍団が集結する描写に費やし、柳生十兵衛が登場する中盤からは、手に汗握る夢の対決が繰り広げられます。特に柳生如雲斎との死闘は読み応え充分。終盤の宮本武蔵の暴走振りも痛快です。傑作揃いの山田作品の中でも最高級の面白さを誇っています。

ただ…俺は深作欣二のファンでもあります。千葉師匠、若山富三郎、緒形拳、室田日出男…深作映画の常連達がスター剣豪を演じるコスチュームプレイとして『魔界転生』は極めて魅力的です。加えて『柳生一族の陰謀』を知る者には、一種のパロディ劇として楽しめるのではないでしょうか?

我がネットワーク内でも『柳生一族の陰謀』は好きだけど『魔界転生』は今ひとつという意見もあれば『魔界転生』のクライマックス、柳生親子のチャンバラは最高や。という意見もあります。同じ映画でも観る人によって、抱く感情が違います。それが当然だと思います。

(2003/06/05)

黒澤映画はマンガ的

奇抜なストーリー展開、デフォルメの利いた登場人物、俳優のオーバーアクション等…黒澤映画がマンガ的な要素を多分に含んでおり、その事は幾度も指摘されています。俺もその説に異存はありません。黒澤の『用心棒』『椿三十郎』公開以降、マンガや劇画に生々しい残酷描写が急激に増えました。そのマンガを原作にした映画が作られるようになり、一時期、日本映画では「血みどろ時代劇」が隆盛を極める事になります。黒澤自身はこの流行に難色を示したそうですが、それだけ、彼の映画は大きな影響力を有していたという事でしょう。

(2003/06/01)

脚本

◆原作という比較対象がある場合は、視聴者連中の脚本眼も多少はアップして、脚本には結構敏感になれるものですよ。

◆例えば、ネットを散見するに、今年の大河に対する批判の少なからぬ数は脚本に向けられたものです。

視聴者が脚本に注目するというのは良い傾向だと思います。

脚本は劇(ドラマ)の骨格であり、これが安直だと幾ら人気俳優を揃えても空中分解(ドラマとしての)は眼に見えております。逆に言えば、物語さえ面白ければ、出演者の才能が凡庸でも何とか持ちます。

最近、映画の方もいい加減な脚本が多いのでウンザリします。ほぼ無料で観られるTVドラマなら諦めもつきますが、映画はカネを取っている事を忘れないで貰いたいですね。たかが1800円でも、貧乏人には結構な大金です。毎回のように失望させられると、流石に劇場から足が遠のきます。

(2003/06/01)

原作

◆深作版『魔界転生』も山田風太郎の原作とは全然違うみたいですね。

長篇小説たる原作を映画の長さに収めるのは、事実上不可能です。深作欣二自身も参加した脚本チームは、多彩な登場人物を整理し、随所に映画独自のアイディアも組み込んで、あの形にまとめ上げました。

山田風太郎は映画版が気にいらなかったそうですが、原作の面白さと深作映画の破天荒さが巧く融合した作品だと思います。NHKの大河ドラマもネタに詰まっているそうですが『魔界転生』や『柳生忍法帳』辺りを映像化してみたらどうかなと思います。大河の場合、1年放送という長丁場なので、各人物がじっくり描き込めるのではないでしょうか。何にせよ、連続ドラマという形態の強みを生かした作品を観せて欲しいものです。

◆ジェームズ・キャメロンが岩明均『寄生獣』を映画化するという話があったけど、あれはどうなったのかな?

その企画は待機中と聞いております。ただ、キャメロンが監督を務めるかどうかは微妙です。彼も日本のマンガやアニメが好きらしいですね。わざわざ「アフタヌーン」を撮影現場に取り寄せて、連載中の『寄生獣』を読んでいたという入れ込みようです。代表作『ターミネーター2』に登場する液体金属製の追撃サイボーグは『寄生獣』の影響を観る者に感じさせます。ハリウッドも題材不足なのか、コミックの映画化が最近目立ちます。我らが『ルパン三世』の映像化も決定した模様。松方弘樹の弟も吃驚です。

(2003/06/01)

深作時代劇

◆宮村さん、お久しぶりです。

御無沙汰です。

深作欣二の『魔界転生』(1981年公開)は然程評価の高い作品ではありませんが、俺は大好きです。この映画に関しては、いずれ同人誌の方で大いに語りたいと考えております。尾崎君の「ストーリー云々ではなく雰囲気や見所で勝負する作品」という指摘はズバリ当たっていると思いますよ。

千葉十兵衛vs若山宗矩の大激突…ワイヤーだのCGだのの手抜き(?)アクションが全て吹き飛ぶ凄まじさ。若山は役者の度量としては、弟に遅れをとりましたが、運動神経は彼の方が上なのではないでしょうか?あの巨体でトンボが切れるのだから大したものです。

『魔界転生』がお気に召したのなら、是非『柳生一族の陰謀』(1978年公開)も捕まえて欲しいですね。千葉師匠が十兵衛に扮した最初の映画がこれです。主役(宗矩)を張る萬屋錦之助の異常演技(完全に狂っている!)も爆笑必至。そして、日本映画史上に残るデタラメラストはトラウマになりかねない迫力を有しております。脚本はアラだらけですが、禍々しいパワーが全篇に満ちた深作時代劇の最高峰と言えるでしょう。

◆脇の配役も見事です。NHKの大河も、これくらい配役に拘って欲しいものですね。

昔は個性的な脇役俳優が沢山いたのですが…。

まあ。例えいたとしても、彼らを使いこなせるような腕の立つ演出家が現在のTV界に何人いるのやら。学芸会レベルの役者気取りの稚拙な演技には吐き気がしますが、それ以上に、良い役者さん(稀少)がゴミ脚本のドラマなどに出演しているのを見ると無性に哀しくなりますね。マンガが原作のTVドラマがやたらに多いのは、企画者が何も考えていない証拠だと思います。

(2003/05/26)

三百人劇場

★『魔界転生』も結構デタラメラストだったような気が・・・

モビルスーツ化したジュリーも相当狂っていましたが、錦之助の常軌を逸した迫力には負けますね。と言うより誰も勝てません。何しろ、豪腕で鳴らす深作ですら、錦之助をコントロールする事は出来なかったのですから。錦之助は監督の演出など知らん顔。何かにとり憑かれたような怪物演技を終始貫いております。無敵です。

ところで、現在豊島区〈三百人劇場〉にて「深作欣二・追悼特集」が組まれています。6月の1日と3日に『柳生一族の陰謀』が上映される予定です。錦之助の暴走振りをスクリーンで目撃するチャンス!宜しければ、足を運んでみて下さい。

三百人劇場…都営三田線・千石駅A1出口すぐ・Tel.03−3944−5451

(2003/05/28)

クロサワ・エノケン・アラカン

時代劇が人気を博して、映画の一ジャンルとして確立すれば、当然それを「ブチ壊してやろう」と目論む者が現れます。黒澤明などはその代表格と言えます。時代劇の主人公が悪漢どもをバッサバッサと斬り捨てるお馴染みの剣戟場面。これを観て「いくらなんでも、そんなに斬れる訳がねえ」と憤って書き下ろした脚本が『荒木又右衛門・決闘鍵屋の辻』(1952年公開・森一生監督)です。作品の随所に埋め込まれたリアリズムに黒澤のこだわりを感じさせます。そしてこの2年後、黒澤は最高傑作『七人の侍』を撮り上げます。

こうしてみると、数多のデタラメ(史実的・考証的には)時代劇の存在が黒澤の食指を動かしたとも言えます。もしその頃、時代劇が隆盛を極めていなかったとしたら…黒澤の興味は別の方向に進み、日本映画史は変わっていたかも知れません。更に言えば、黒澤がこれほどまでに世界的名声を得る事が出来たかどうか。彼は『羅生門』で売り出し『七人の侍』『用心棒』『赤ひげ』にて国際的評価を不動のものにしたのですから。

お恥かしい限りですが、榎本健一の映画は『虎の尾を踏む男達』(1920年製作・27年公開)ぐらいしか観た事がありません。エノケンは病気による片足切断という大災難をも乗り越えて、舞台に立ったと聞いております。芸に懸ける凄まじいまでの執念。まさに喜劇王。

〈むっつり右門〉こと近藤右門は鞍馬天狗と並ぶ、嵐寛寿郎の当たり役との事ですが…これも未見です。俺がアラカンを最初に観たのは高校生の頃。TV時代劇の名作『新・必殺仕置人』の再放送でした。ゲスト出演のアラカンは、引退した老暗殺者を飄々と演じておりました。当時の俺は嵐寛寿郎の名は知りませんでしたが、強烈な印象を受けました。後に『必殺』の資料を読んでいたら、彼の登場したエピソードが載っており「あー。あの人はアラカンだったのか」と思わず呟いた覚えがあります。

他には中川信男の怪作『地獄』(1960年公開)の閻魔大王(!)役や石井輝男の『網走番外地』(1965年公開)における伝説の猛者役が記憶に残っています。史上最強のチャンバラ俳優と称されるアラカンの立ち回りを1度じっくり観てみたいと思います。

エノケンにせよアラカンにせよ、真に役者・芸人という感じがします。彼らに比べると(比べてはいけないのかな)現代のタレント連中はいかにも安っぽいですね。

(2003/05/22)

21世紀の時代劇

◆単純に楽しむことが一番だらう。

それが難しくなってきました。何か「他の事」を考えながら映画を観ている瞬間があります。

話は逸れますが…先日観た、新作時代劇2本には幻滅したなあ。

森利行様。いつぞやの言葉を訂正させて下さい。山田洋次の『たそがれ清兵衛』は良い映画です。

(2003/05/18)

時代劇に未来はあるのか

◆制作サイドと同じ視線で作品が見えるやうになつてきてゐるからぢやないだらうか。

それほど大層な事ではないのです。本当につまらない事が気になる刹那があるだけなのです。例えば…有名な役者さんが並んだポスターに惹かれて、実際にその映画を観ますと不思議な事が起こるのです。ポスターに記された役者さんが「同一画面に登場する」場面が極端に少ないのです。カネがないのは勿論ですが、多分、各役者さんのスケジュールが合わないのです。と言うより、皆忙しいのか何なのか、合わせる心算もないのでしょう。時代劇は入念にリハーサルを重ねないと、中々サマにはなりません。いきなり現場に入り、着物を着て、刀を振り回しただけでは「時代劇」にはならないのです。そんな事は映画を作っている人は百も承知でしょうが、そうせざるを得ない邦画の現状を哀しく虚しく思います。

◆レンタルビデオ店に並び始めてゐるので、観ることにしよう。

山田洋次の『たそがれ清兵衛』は、物語の舞台を限定したのが正解だったと思います。この前観た新作時代劇2本は、変にスケール感を出そうとしたのが災いして中途半端な印象を受けました。最後の斬り合いは不満を覚えましたが『たそがれ清兵衛』は、丁寧に時代劇を作ろうというスタッフの心意気がこちらに伝わってきます。ところで、最近の山田作品は画面が暗いのですが、何か特別な意味でもあるのでしょうか?

(2003/05/18)

JIDAIGEKI

◆新作時代劇2本といふのは、『魔界転生』と『あずみ』あたりか。

御明察に存じます。

『魔界転生』はあらゆる面で深作欣二版に劣るので論外。

『あずみ』は主演の上戸彩がかなり頑張っているものの、ついに暗殺者の凄味を見せる事は出来なかった。他にも若手を多く起用しているが、全員爆発力に欠ける。妙にお行儀が良い。あずみの宿敵に扮するオダギリジョーもアホになり切っていない。役に負けている。竹中直人&原田芳雄。ベテラン2人が気を吐いているのが唯一の救いか。上映時間が長過ぎるのも減点対象。因みに『あずみ』のコピーは「時代劇を超えるJIDAIGEKI」であった。意欲は買うが…。

先月、千葉真一師匠がアクション監督を務めた一連の時代劇を観た。どれも荒唐無稽な内容だが、活劇のスピード感は流石であった。とにかく娯楽に徹している。単純に面白いのである。面白い映画を俺は観たい。

(2003/05/19)

戦国武将占い

先日。地元図書館の雑誌コーナーで「週刊文春」の別冊を読んでいた。その中に「戦国武将占い」という特集記事が載っていた。ある算出方法を使って、12名の有名戦国武将(剣豪1名を含む)の内、自分はどの武将のタイプに属するかを占う趣向である。最初は馬鹿らしい気もしたが、ズラリと並ぶ英雄・梟雄の名前に興味を覚えたので、試してみる事にした。

結果は「本能寺の変」の首謀者〈明智光秀〉タイプであった。俺自身は精々〈小早川秀秋〉ってところかな。などと考えていたが、見事にハズれた。尤も、秀秋は12名の中には選抜されていなかったが。光秀型の人物は、妥協を忌み、着手した計画は完遂するまで徹底的にやり抜く。処理能力、計算能力に長けており、突発的な事態にも迅速に対応する機転をも備えているそうである。最適の部署は秘書室(長)とか。うーん。怪しいな。何の自慢にもならないが、俺は28年の人生の中で1度も初志を貫いた事がない。仕事のスピードもトロいし、全てにおいて大雑把な俺が秘書業などこなせる筈もない。余り信用出来ない診断と言えた。

別項に相性の良い武将と悪い武将の説明がしてあった。光秀型の後ろ盾には〈真田幸村・外交向き〉が適しており〈北条早雲・営業向き〉とは信頼関係が築き易い。相談相手としては〈宮本武蔵・総務向き〉を選ぶと良いそうである。嫌われるタイプとしては〈武田信玄・開発向き〉の名前が挙がっていた。確かに幸村と武蔵(早雲にはそれ程愛着は感じない)は俺が好む種類の人物だが、これに該当する者が我が周囲に存在するのかどうかが問題である。多少、思い当たる人もいないではないが。それにしても、信玄型に敬遠される傾向があるというのは、一寸ショックだった。

最後に「凄い」という言葉に光秀型は弱いとある。自分は大物であり、いずれは大成すると思い込んでいるこのタイプは、その種のキーワードを聞くと図に乗る危険性があるそうな。これはどうかな?そこまでは自惚れてはいないつもりだが、自分ではよく判らん。そして、上司や同僚の裏切り行為に対して、激烈に反応するのも、このタイプの特徴だという。何かの拍子にキレてしまうと、取り返しのつかない凶暴性が発動するので要注意!これには素直に納得した。俺は裏切り、寝返りの類には異常に敏感で、執念深く記憶している癖があるからである。

この占い…短所の部分だけ的中しているような気がするなあ。

(2003/04/12)

死神博士永眠

俳優の天本英世が亡くなった。77歳だった。岸田森や西村晃に匹敵する優秀な脇役俳優であった。その特異な風貌とアクの強さは1度見たら忘れないほどのインパクトがある。それ故に熱狂的なファンが多い。しかし、天本本人は俳優業を「食う為の手段」としか考えていなかった節がある。岸田や西村だと「どんなにつまらない役だろうが俺が面白くしてやる」という気迫を感じさせるが、天本の演技は何処か投げ遣りで不貞腐れた雰囲気がある。それがまたユニークで魅力的なのだが…。

天本が世間一般にも知られるようになったのは、たけしのクイズ番組「平成教育委員会」辺りからだろう。その頃、何かのインタビューで「お陰で年収(百数十万)が月収になりましたよ」などと自虐的な笑いを浮かべながら話していた。天本は意外にもアウトロー的要素の強い人物であった。1人だけ溺愛した女性がいたそうだが、その人とは結ばれず、生涯独身を通した。暇を見つけては、海外を放浪。一番のお気に入りはスペインだった。日本にいる時は、自宅(玄関が開かないそうな)近辺の日比谷公園でゴロゴロしている事が多かった。その際、承諾もなしに写真を撮る奴はプロだろうが素人だろうが、片っ端から張り倒していたそうである。天本曰く「無礼者には鉄拳で教えるしかない」との事。西欧的な容姿の裏にサムライの魂を秘めた硬骨漢であった。天本の「今の日本人には〈死〉がない。死がないから〈生〉もない。だから、どいつもこいつも魚の腐ったような眼をしているんだ」という痛烈な言葉は、今も俺の心に突き刺さっている。天本の遺骨は彼の愛したスペインのある河に流されるそうである。日本からまた、得がたい才能が消えてしまった。怪優の冥福を祈りたい。

(2003/03/24)

深作&千葉

千葉真一は、タランティーノ監督最新作『KILL BILL』において、出演・殺陣・日本語の科白の監修、の三役を務めている、とのことで、『座頭市』のみならず、こちらも公開が大いに楽しみです。

…生前、カツシンがたけしに「今度、一緒に映画を作ろうぜ」と誘ったという噂があります。具体的な内容は不明ですが、実現して欲しかったなあ。たけし第1の監督作品『その男、凶暴につき』は当初、深作欣二が予定されていました。しかし、両者のスケジュールが合わず、たけしが主演と監督を兼任する事に。時は流れて世紀末、両雄は『バトル・ロワイアル』にて再会を果たします。奇しくもこれが深作の遺作となりました。深作のデビュー作に主演したのが、我らが千葉真一師匠。師匠にとってもこれが初めての映画出演でした。意気投合した深作&千葉は、これ以降も共闘を続ける事になります。そんな彼らの映画に心酔しているのが、タランティーノ。彼の作品に深作映画のエッセンスが濃厚に息づいているのは有名な話です。駄目だ駄目だ。と馬鹿にされっ放しの日本映画ですが、俺はそんなに捨てたもんじゃないなと考えています。先日、深作・千葉コンビの映画中、最高傑作と呼ばれる(マニア間でですが)作品をついにつかまえました。TVの小さな画面ではなく、劇場のスクリーンで観られたのは幸運でした。

(2003/03/19)

監督兼俳優

◆留守電に自分の声を使っている人ってのは、ある意味尊敬に値します。

同感ですね。話がやや脱線してしまいますが…声だけでも強烈な違和感を感じるのに、自分の主演作を自分で撮ってしまう人達が存在するという事に驚愕します。異常なまでの自尊心がなければ出来ない作業。たけしの映画には多少「照れ」のようなものが画面から伝わってきますが、イーストウッドやカツシンには「それ」が微塵もありません。両者とも怪物です。

(2003/03/18)

三池祟史

◆宮村君、三池祟史はどんなものですか。

俺は観ていませんが『カタクリ家の幸福』は余り評判は良くなかったですね。三池祟史は現在の日本映画界では最も多忙な監督の1人です。極めてマンガ的(この言葉は個人的には嫌いですが)な作風で、好きな人とそうじゃない人の差が激しいのが特徴です。三池映画の頂点に属する『DEAD OR ALIVE』という作品があります。竹内力&哀川翔というVシネマの二大スターが競演した、キ◆◆イ・アクション。これを観て、生理的に合わない方は、三池映画とは縁がないのではないでしょうか。俺は結構好きですけど、真面目な人ならブチ切れる事は間違いなしの怪作です。三池自身は芸術家振るタイプの人物ではありません。特に映画監督を目指して、現在の位置に辿り着いた訳ではなく、本人曰く「たまたまなった」そうです。彼のインタビュー記事を読んでいると、奇妙なユーモアセンスを感じます。もしかしたら、作品よりもそちらの方が面白いかも知れません。酢豆腐(インテリ)評論家には批判されるか無視される事の多い三池祟史ですが、依頼や企画の種類を選ばず、決められた予算と時間内で作り上げてしまう手腕は評価に値すると思います。

(2003/02/23)

テアトル新宿&ラピュタ阿佐ヶ谷

◆この映画のタイトルは『じゅえん』ではなく『じゅおん』と読みます。

◆1800円と2時間を費やすだけの価値は十分に有り

そうですか。尾崎君も『呪怨』を御覧になりましたか。先週の俺の書き込みが、貴君に妙な先入観を与えていないと良いのですが…。かの作品は元々ビデオムービーとして製作。かなりの好評を博したらしく、今回の映画化に至ったそうです。アメリカ版『リング』がそこそこヒットしたので、それも追い風になったのかも知れません。我が愛読誌「キネマ旬報」では主演女優のインタヴューに1頁を割いたのみの扱い。編集部が余り重要視していないのは明白です。俺も昨年暮れに予告編を観なかったら、多分〈テアトル新宿〉に足を運ぶ事はなかったと思います。この前も述べましたが、知名度の低い(俺が知らないだけ?)役者を起用したのがこの映画の肝。映像の安っぽさも、変なリアリティがあって、怖さ倍増。これも正解でした。個人的にはCGの利用は不要だったと思います。あの程度の映像なら、最近の観客は家庭用ゲーム機で食傷気味ですから。それにしても、季節外れの怪談映画にこれだけの客が集まるのは不思議と言えば不思議な現象です。食い物同様、怪談にも「旬の時期」なんて無くなっちゃったのかな。

東京潜伏中は映画と芝居に明け暮れる生活が続きますが〈テアトル新宿〉も時々利用しています。初めて行ったのは多分3年前。沖浦啓之(押井守の弟子)の『人狼』を観ました。他に三池崇史の『DEAD OR ALIVE2・逃亡者』と和田誠の『真夜中まで』が印象に残っています。この手のミニシアター系作品は、田舎の映画館では滅多にお目にかかれません。都内在住もしくは近在の方々が羨ましい限り。そんな俺が最も出没頻度が高いのは『奇魂』第4・5号でも紹介した、杉並区の〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉です。掘り出し物的な邦画のプログラム・ピクチャーを意欲的に上映。休日は勿論ですが、平日でも、夜な夜な、マニアックな映画好きが集まります。そしてその地下は、演劇上演がメインの小劇場〈ザムザ阿佐ヶ谷〉なので、まるで俺の為に存在するような理想的空間と言えます。来週の火曜日に性懲りもなくレイトショーを観に行く予定です。

(2003/02/15)

『七人の侍』製作過程

黒澤明と脚本チームは「本物の時代劇」を作る為に、膨大な資料と時間をシナリオ作りに投入しました。戦国時代末期が『七人の侍』の舞台ですが、当時の文献や記録は殆ど存在しておらず、作業は難航を極めました。紆余曲折の果てに「野盗の襲撃から村を守る為に侍を雇った」という記述を発見。これが『七人の侍』の中核です。黒澤はこれに高名な武芸者のエピソードを随所に盛り込みました。更に西部劇の迫力に対抗すべく、クライマックスでは、土砂降りの雨を降らせて強烈な戦闘場面の創造に挑みました。撮影は真冬です。頑強で鳴らす三船敏郎さえも終了後、病院に担ぎ込まれるという凄まじさ。そのような壮絶な過程を経て『七人の侍』は完成しています。そんな作品を引用するからには、作り手は相当な覚悟が必要です。生半可なパロディは恥を晒すだけでしょう。今回のように。

ただ…よく考えてみると『七人の侍』自体にもパロディ要素のようなものが散見出来ます。一連の黒澤映画には、オリジナル(例えば西部劇)を死ぬほど研究して、表面だけを安直になぞるのではなく、それを超越してやろうという気迫や意気込みが感じられます。大河ドラマのスタッフにはそんな余裕はないのかも知れませんが、そういう精神がなければ、名作を世に送り出すのは至難だと思います。

(2003/01/26)

餓鬼の感想

さて、ライブの感想ですが、山口武氏+貴兄のお師匠。流石に日本最強クラスの競演です。音楽の知識や感覚など絶無に等しい俺ですら、聴き惚れさせてしまう恐るべきパワーがありました。周囲のお客さんも品が良く、心底音楽を愛しておられるという事が、さしもの鈍感な俺にも伝わって参りました。デキる演奏者と洒脱な聴衆達が作り上げる素敵な空間と雰囲気に酔いました。ただ、俺などが(例え末席とは言え)この場に居ても良いのかな?と時折思いました。そういう意味では、少し敷居の高いライブだったと言えるかも知れません。演奏技術に関してはこれまたよく解かりませんが、両雄とも愛器と一体化されているような滑らかさを感じました。お二人に比べると、陳五郎様は未だ荒削りの部分(俺にはそれがまた良いのですが)を残しておられるように思いました。何も知らん餓鬼が偉そうにと感じられるでしょうが…。何にせよ、練達の演奏に身を任せつつ、色んな事を考えられたのはとても貴重な経験でした。そのような機会を与えて下さった陳五郎様に改めて感謝。25日の〈みゅーず〉ライブも今から楽しみです。

(2003/01/22)

パクリ騒動

先日。いつもの喫茶店でオヤジ向け雑誌を読んでいた。ズラリと並ぶ胡散臭い記事の中に「今年の大河ドラマは黒澤映画のパクリ!」という題名が踊っていた。何でも『武蔵』の第1回にて『七人の侍』を思わせるエピソードが続出。これを観た黒澤贔屓の評論家やら黒澤組のスタッフやらが大激怒の様子である。パクリ、パクられるのがこの業界の宿命であり、何を今更とも思ったが、安易な引用は妙な誤解を招き易い。余りにも有名な『七人の侍』の名場面を同じ時代劇に引用すれば目立つのは当り前。製作者は無能揃いか?という印象を受けるが、むしろ世間の物議を醸して注目度を高めようという放送局の陰謀とも取れる。パクるのも結構だが、せめて粋にやって貰いたいものである。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』の第19話とか『火の鳥』の「異形篇」とか。熱烈ファンの情報によると『太陽にほえろ!』でも『七人の侍』の奇襲シーンをそのまま再現したエピソードがあったらしい。時代劇から現代劇への変換なので、それほど嫌味な感じはせず、逆に「やってますな!」てな風に観る者をニヤリとさせる引用だったという。この場合は、パクリではなくパロディと呼んでも良いのではないだろうか。海外に眼を向けると、黒澤信者の代表格フランシス・コッポラ。彼は『ゴッドファーザー』では『悪い奴ほどよく眠る』を意識し『地獄の黙示録』では『七人の侍』のフィルムを撮影現場に持ち込み、繰り返し鑑賞していたという伝説を有している。初見の時は解からなかったが、後から考えてみると確かに彼の作品には、黒澤映画の要素が随所に溶け込んでいるような気もする。これだけ完全に消化して、これだけ見事に再構築すれば立派なものである。かの大河ドラマにそこまで期待するつもりは毛頭ないが、戦国時代の女性が、指にマニキュアを塗ってるってのは流石にマズいぞ。NHK!!

(2003/01/20)

映画道

★私が変化球の味わいが理解できるようになるには、どれほどの時間と経験が必要となるのでしょう。なんとも、映画道は奥が深すぎます。

深い。深いねえ。映画の鑑定眼を養うには、とにかく映画を観るしかないですね。それしかありません。時間はかかります。古今東西の名作から低予算のカルト映画まで。それを重ねる毎に少しずつ少しずつ「映画を観る眼」は研磨されてゆきます。加えて、映画以外のジャンル、小説でもマンガでも演劇でも音楽でも、何でも良いから多くの要素を吸収しておく事も大切です。その事が映画を「立体的に観る」事を可能にしてくれます。若い時に寝てしまった映画を随分時を経て観直した際に「この作品はこんなに面白かったのか」と驚いた経験が幾度かあります。俺も少しは映画がわかるようになったのかな…と自己満足に耽る瞬間です。それと、作品評等の映画関連の書物は作品鑑賞後に読んだ方が味わいも深まります。その前に熟読してしまうと妙な先入観がついてしまいます。巨匠であればあるほど、これを防ぐのは困難ですが、避ける努力は必要かと思います。映画の年表や監督の経歴を狂的に蓄えて、手前の知識を嬉しそうに自慢するアホに度々遭遇します。ウンザリですね。こういう奴に限って、肝心の映画の感想は幼稚園児並、と言うよりそれ未満。どうしようもありません。まず映画ありき。俺なども名作映画の裏話等は大好きですが、資料やデータはあくまで補助的なレベルに留めておくべきかと考えます。貴君の仰る通り、映画道は果てしなく遠い。俺に与えられた時間内と知能指数でそれを「極める」のはまず不可能です。そして「極めた!」と確信したとしたら、それは映画とサヨナラする時でしょう。例に出す事すら恐ろしいのですが、晩年の黒澤明がアカデミー賞会場(無論本場です)に招待され、その舞台で述べた言葉。「私はまだ映画がよくわかっていない」が俺の脳裏に深々と食い込んでおります。

(2002/12/26)

映画の設計図

★物語性という甘味料ではなく、映画そのものの味わいを楽しめるようになりたいです。

尾崎君。御返信、恐れ入る。折角のお言葉ですが、俺もまだまだ映画というのジャンルが捉え切れていません。変化球の味わいが少し理解出来るようになったのも実は最近という有様。5年前なら『フェリーニのローマ』を最後まで観られたかどうか、自信がないです。映画は脚本が命です。物語さえ面白ければ、凡庸な監督でもある程度の映画を作ることは可能です。映像で勝負するのも良いのですが、これは相当な才能が要求されますね。眺めているだけで楽しい映画なんてそうそうありません。訳のわからない「自称映画監督」がフェリーニやらキューブリックやらの真似なんかしたら大変です。まさに資源の無駄使い。かの黒澤明は「映画監督になりたかったら、とにかくホン(脚本)を書け」とこの世を去る直前まで強調していました。ホンは映画の骨格。ホンの欠陥を撮影現場で埋める事はまず不可能です。精密な脚本作りが映画の第一歩と言えるでしょう。正統派の映画を撮り尽くしてから、次の段階に進むべきだと思います。その人が天才でない限りは。日本にも新進気鋭の監督が増えてきたのは嬉しいのですが、アホみたいな脚本を「物語性の超越」とか「新感覚」とかいう言葉で誤魔化すのはやめて貰いたいな。後「なんで今更クロサワやねん」てな台詞も、黒澤クラスの功績を挙げてから大いに言って下さい。無論、彼も完全無欠の存在ではありませんが、学ぶべき点は沢山あると思います。

(2002/12/25)

ハリウッド映画

★「来春日本に“ハリウッド基地”」といふ記事の紹介。

歓迎すべき事態なのかどうか…俺の知能では判断が難しいですね。まあ。これも時代の動きなのでしょう。最近のハリウッド製映画がつまらない(ほとんど観ていないので偉そうな事は言えませんが)のは「映画の工場」としての機能が発達し過ぎてしまったからでしょう。同じような出演者に同じようなストーリーに同じような映像。それを同じような観客が同じように金を払って同じように観る。最早観る奴さえも「ハリウッド映画」のベルトコンベアー上の部品と化しています。でもそれが「現在の映画の形」だとすれば、それはそれで仕方ないのかも。映画監督と言えば、俺は「個性の塊」を連想してしまうけど、ハリウッドには「芸術家」は五月蝿いだけでお呼びじゃないようです。それがハリウッドの体質であり、今後も変わらないでしょう。日本の「映画ファン」も意外にそういう方が多いみたいですよ。別にそれを否定しようとは思いません。無論肯定もしませんが。勝手にやって下さい。俺も勝手にやります。ハリウッドが日本に前線基地を築くのは、何故でしょうか?金儲けの為ですよね?現在のハリウッドは「企画力が貧弱」だそうですが、それでも結構客が来るんだから大したもんですよ。今更「重厚な芸術映画」なんか作ったりしたら「同じような客」が困惑しちゃうんじゃないですか。ハリウッド資本を狡猾に利用して「自分の映画」を製作してしまうような監督が現れてくれれば面白いんですが。望み薄かな。

(2002/12/23)

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