上部広告スペース

雑文集1

やすしを殴った男

他人を攻撃したり、批判したりするのが得意な人は、自分が攻撃を受けると案外脆いようである。昔、映画評論家の田山力哉が、ある居酒屋で横山やすしと口論になった。田山もやすしも血の気の多い事では有名な猛者である。恐らく壮絶な舌戦が繰り広げられたであろう。両雄激突は極みに達し、激昂した田山はついにやすしの頬にビンタを喰らわせてしまった。瞬間「しまった!」と田山は思った。当然、猛烈な反撃を覚悟した彼だが、やすしの反応は意外であった。まあまあ。映画評論の先生。そう熱くなる事ないがな。マスコミが伝える「横山やすし」のイメージとは随分かけ離れた様子であった。その声も何処か虚ろで弱々しかったそうである。田山はあるエッセイで「手を出した俺が悪いのは認めるし、許される事ではない。しかし、やすしという男は繊細な神経の持ち主だった」と語っている。田山もやすしも強烈な個性と毒舌で我々を楽しませてくれた。だが、絶賛を浴びる者は、その分、敵も多い。2人は激烈なストレスを誤魔化す為に大量のアルコールを消費した。案の定、彼らは見も心もズタズタになって、この世を去った。魂と生命を削るような生き方。凡人には憧れる事は出来ても、それを実行する事はまず不可能であろう。他人に攻撃を仕掛ける時、人は己に潜む弱点や欠点を相手に投影しているのかも知れない。

(2002/12/11)

俺の5本

うーむ。女性向けの映画か。これは難題だ。

(1)『冒険者たち』(1967年・仏/ローベル・アンリコ監督)

(2)『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年・米/ロナルド・ニーム監督)

(3)『バリー・リンドン』(1975年・米/スタンリー・キューブリック監督)

(4)『櫻の園』(1990年・日本/中原俊監督/出演・中島ひろ子/白鳥靖代)

(5)『豪姫』(1992年・日本/勅使河原宏監督/出演・仲代達矢/宮沢りえ)

(1)2人の男に1人の美女。彼らの夢の行方は如何に?テーマ音楽が最高です。

(2)津波により転覆した豪華客船。乗客達の運命は?手に汗握る大脱出劇。

(3)映像美の頂点を極めた歴史映画。美しくそして眠い。睡眠薬代りにどーぞ。

(4)ある女子高を舞台に、卒業公演の幕が上がるまでの2時間を描いた佳篇。

(5)(3)には及びませんが、結構頑張ってます。物語は駄目だけど人物は魅力的。

追伸…5本中1本でも「面白い」と思って戴ければ幸いです

(2002/10/25)

中村主水

「俺達ゃ悪よ。無頼よ。だがな、悪を裁く為にはその上を行く悪にならなくちゃいけねえ」これは、中村主水初登場エピソードの台詞である。異色時代劇「必殺シリーズ」最強の人気キャラクターたる主水だが、当初は最重要脇役というポジションであった。数多の修羅場を潜り抜けて来た、百戦錬磨の達人。暗殺チームの軍師として活躍する主水の姿は目茶苦茶格好良い。元来、建前優先の主人公よりも、主役を食うようなアクの強い脇役が俺の好み。エンディングテーマの時に現れる役名+出演者のテロップ。その最後(トリ)を飾る「中村主水・藤田まこと」が俺をシビれさせるのである。初期型主水の不良中年振りは最高だ。堂々と賄賂を懐に収め、気に入らない奴は敵だろうが味方だろうがぶん殴る!時折、愛刀の柄頭の上に両手と顎を乗せて、不貞腐れた表情で「俺は自分さえ生き延びられたらそれで良い。他の奴等がどうなろうが、俺の知った事か」などと極めてエゴイスティックな言葉を平気で吐く。本当の彼はそれ程非情でもないのだが、内に秘める正義感を表に出すのが多分照れ臭いのだろう。自分の正義に何の疑問も感じない通常のヒーローよりも、己の保身を優先する主水の方が遥かに人間的で、好感が持てる。主水は『必殺仕置人』『暗闇仕留人』『必殺仕置屋稼業』『必殺仕業人』と転戦を重ねた末に『新・必殺仕置人』でついに主役の座に座るのだが、彼は「主役にはなってはいけない」人物だと俺は盲信している。そして、この作品の最終回「解散無用」で主水は事実上「死んだ」と思う。それ以降の主水は精彩に欠ける。後期シリーズでは僅かな金で人を殺してくれる「便利なおじさん」と化してしまった。後期における藤田まことの全くやる気のない演技が、その事を如実に物語っている。

(2002/10/22)

「解散無用」

伊達君のお師匠が御覧になったら「馬鹿な!」と激怒される事は間違いない出鱈目時代劇の決定版。それが「必殺シリーズ」である。女子供向けに堕した後期シリーズは話にならないが、ドラマ性と毒気に満ちた初期シリーズは俺も大好きである。初期篇の集大成『新・必殺仕置人』の最終回「解散無用」に、俺は高校生の時に遭遇した。あれを超えるTV時代劇を未だ観ていない。

資料によると本放送は1977年11月4日。まだまだTVが熱かった時代である。このラストエピソードでは、暗殺者組織《寅の会》の大崩壊が描かれる。総帥の組織解散宣言を聞いて《寅の会》メンバーの一人、辰蔵(佐藤慶!)は自分が支配する新組織《辰の会》設立を目論む。旧組織員の内、己に賛同する者は良し。そうでない奴は皆殺し。そんな辰蔵の計画に陰から加勢するのは、御存知、中村主水(藤田まこと)の上司たる諸岡(清水紘治)である。主水の2人の仲間、念仏の鉄(山崎努)は最大の武器である右腕を潰されて再起不能。巳代松(中村嘉律雄)過酷な拷問の末に廃人と化した。数々の死地を共に乗り越えてきた戦友の無惨な姿を見て、主水はついにブチ切れ。その仇討ちを果たすべく、単身辰蔵邸に斬り込む。

手始めに宿敵の一、諸岡を屋敷外に連れ出す主水。彼の正体を察した諸岡はおもむろに抜刀する。たちまち烈しいチャンバラが繰り広げられる。諸岡も腕に覚えはあるものの、復讐鬼となった主水の敵ではない。駆け抜けざまに胴を割られる。更に怨敵の背中と顔面を斬り裂いた主水は、敵のどてっ腹に白刃を叩き込んで、そのまま辰蔵邸に突入。どかーん。戸板が吹っ飛んで、諸岡の死体が派手に転がる。突然の鬼神襲来に肝を潰す辰蔵。彼の護衛部隊が必死の反撃に出るが、優秀な殺人マシーンの本領を発揮する主水は誰にも止められない。手近のチンピラを叩っ斬り、敵のドスを十手で弾き返して、次の瞬間、脇差を抜いて刺し殺す。うおおおお。強過ぎるぞ。中村主水!藤田まこと最高の演技。主水のド迫力に思わず逃走した辰蔵を仕留めたのは、満身創痍の鉄であった。彼は辰蔵を倒すと、そのままフラフラと売春窟に迷い込み、女郎の下で息絶える。好色で陽気な暗殺者に相応しい最期であった。その際の山崎努の顔がまた凄い。彼らの異常とも言える熱演は一体何処から来るのだろうか。

時代劇の主人公と言うと大半が体制側の人間である。それに対して「必殺シリーズ」の主役達は偉い人じゃない所が良い。彼らがどんなに活躍しても、国も歴史も変わらない。そのどうしようもない虚しさ。そのアウトロー臭さが俺の性に合っている。

(2002/10/20)

時代劇は難しい

富樫慎様御推薦の『たそがれ清兵衛』の公開日が近づいて来た。富樫様によれば、山田監督は殺陣場面に相当力を入れているという。今から楽しみである。何と言っても、チャンバラは時代劇の華。日本刀という非常に見栄えの良い武器を使って、宿敵同士が死闘の火花を散らす。サムライの末裔なら嫌でも血が沸騰する瞬間である。勿論、戦闘場面のみ迫力があっても駄目。如何に斬り合いが日常茶飯事という映像空間を作り出すかが難しい。昔の役者は着物姿がサマになった。主役以外の脇役や端役も作品世界に見事に溶け込んでいる。映画は総合芸術。誰かが足を引っ張ると、そのダメージは全体に及んでしまう。作品の細部や背景がガッチリと築かれているからこそ、クライマックスが盛り上がるのである。最近の時代劇を観ると、カツラとコスチュームを「ただ着ているだけ」時代劇に「ただ出ているだけ」という印象を受ける。役者の質の低下である。今の日本映画はカネもないけど、時間もない。これが問題だ。出演者のスケジュールを優先して撮影計画が組まれる為、監督も自分の理想を追求する事が出来ない。そういう状態では傑作が生まれ難い。黒澤明が『椿三十郎』の製作を決めた時、まず着手したのは9人の若侍を演じる俳優達の特訓であった。リハーサル好きの王様は、彼らに劇中と同じ扮装をさせて、カツラや着物が完全に馴染むまで何度も稽古を繰り返したという。本格的な撮影はそれからである。まあ、こんな話は現在では夢物語だが。時代劇製作の厳しさは山田監督は百も承知であろう。敢えてそれに挑戦した監督の決断には拍手を送りたい。が…それと作品の評価が別物である事は言うまでもない。

(2002/10/17)

ライブの夜3

その日の午後。俺は普段着にバンダナ(これが日常生活内では最後の使用となった。帽子代りになるかなと思い、試験的に着用していたが、少しもサマにならず、周囲の評判も最悪。登山専用アイテムにする事にした)を締めて、俺は京都に向かった。今日は市内伏見区の居酒屋〈ざぶざぶ〉にて、佐渡建治氏+陳五郎氏のライブが行われる予定であった。前回は大変な遅刻をしてしまった。その教訓を生かして、今回は時間に余裕を持って出掛けた。山科の駅を下車し、地下鉄を乗り継いで、最寄り駅「深草」に到着する。時計は午後7時10分頃。ライブ開始までには少し時間がある。俺は今夜の宿を貸して戴く高坂様への手土産を買い漏らしていた事を思い出す。俺は慌てて〈ざぶざぶ〉横の喫茶店に飛び込み、ケーキ類を購入した。店を出て、いよいよ〈ざぶざぶ〉の扉を開ける。店の奥には前回と同様のメンバーが演奏の準備に余念がない。我らが陳五郎様は以前お会いした時より髭が濃く、風来坊の雰囲気を強烈に発散していた。そしてその横には、このライブの主人公たる佐渡氏が控えている。俺は挨拶を済ませると、カウンター席に着いて、ビールを注文した。腹が減っていたのでついでにマスター自慢のヤキソバも頼んだ。やがてライブが始まる。演奏の間に佐渡氏の毒の利いたトークが繰り広げられる。かなり面白い。饒舌な主役に比べると、陳五郎氏は寡黙である。自身の歌を披露する以外はほとんど無言だ。柔と剛。両雄は見事なコントラストを形成していた。休憩の際、佐渡氏が俺の席の方にわざわざ出向いて下さる。暫し談笑。俺が「陳五郎さんの精神的な弟子です」と自己紹介すると、すかさず「何?陳五郎ってそんなに人望あるんか」と佐渡氏一流の反応が返ってきた。その後、佐渡氏は独特の人生観や哲学を熱く語ってくれた。音楽とそして人生の達人の話を直接聞く事が出来た俺は幸運な人間と言えるだろう。ライブ後半〈ざぶざぶ〉マスターの奥様がお気に入りの、陳五郎氏自らが唄う「ティータイム」が炸裂する。ズシリと心に響くものがある。観客は決して多くないけれど、こんなに贅沢なライブはそうはないぞ。俺は心底思った。

ライブ終了後、陳五郎氏の愛車に乗せて戴き、高坂氏の豪邸を目指す。車中で俺の駄文に関する御感想を頂戴する。とても好意的な内容であった。尊敬する陳五郎氏の言葉だけに瞬間涙が出そうになったが、俺の涙腺は数年前から枯渇している事に気づいた。午前12時直前に高坂邸に到着。主宰様は「おや?今夜は狂ってないみたいやな」と自ら迎えて下さる。前回の醜態振りが脳裏を過ぎった俺は、顔から火が出る程恥ずかしかった。陳五郎氏と一緒に茶の間にお邪魔して、ホームページの事やら、映画の事やら、政治の事(俺には難解だったが)やらについて、喋りまくった。最近、この掲示板で暴虐の限りを尽くしている俺に対して、主宰様は上品な笑いを浮かべながら「どんどんやってくれて良いよ」と寛大な態度で応じて下さるのであった。陳五郎氏にも申し上げたが、俺はギターも弾けないし歌も唄えない。この書き込みが俺が可能な唯一の「ライブ」かな?と、近頃勝手に思い込んでいる。時々、恥を晒す事もあるけど、それも芸風と居直ってしまおう。と、いう訳で、皆様。御覚悟を。

(2002/09/19)

巨匠の苦手分野

黒澤明は女性を描くのが苦手。というのが映画評論の定説のようになっており、それはある程度当たっています。猛烈なヴァイタリティを有する男を描写させれば、日本映画界で黒澤を超える者はいないでしょう。洋画界を見渡しても少ないと思います。強烈個性の豪傑どもが壮絶な死闘を繰り広げる物語が、世界中の映画ファンを魅了してきたのです。黒澤映画にも魅力的な女性は登場するのですが、その大半が悪女・猛女の類であり、男顔負けのアクの強さを発散させています。反面、たおやかで繊細な女性を創造する事に関しては、天才には相応しくない凡庸の域に甘んじております。黒澤の数少ない弱点のひとつと言えるでしょう。彼もその事は終生気にしていたようです。今年『海は見ていた』という彼の遺作(脚本)が熊井啓監督によって映画化されました。これは黒澤としては稀少な女性が主人公を務める作品です。不名誉なイメージを意地でも打破しようというのは、世界一負けず嫌いな彼らしい行為だと思います。熊井版『海は見ていた』は未見ですが、出来の方は余り芳しくないと聞いています。例え失敗作でも本人が撮っていれば諦めもつくのですが…。

(2002/09/03)

「可愛くて凄い女たち」第2弾

(1)『修羅雪姫・怨み恋歌』監督・藤田敏八/主演・梶芽衣子/1974年公開・89分/8月25日〜31日

(2)『おしゃれ大作戦』監督・古沢憲吾/主演・由美かおる/1976年公開・85分/9月1日〜7日

(3)『女番長ゲリラ』監督・鈴木則文/主演・杉本美樹/1972年公開・84分/9月8日〜9月14日

(4)『三匹の牡蜂』監督・鳥居元宏/主演・大原麗子/1970年公開・87分/9月15日〜21日

(5)『銭ゲバ』監督・和田嘉訓/助演・緑魔子/1970年公開・91分/9月22日〜28日

(6)『新宿の肌』監督・斉村和彦/主演・松岡きっこ/1968年・89分/9月29日〜10月5日

(7)『果実のない森』監督・船橋和郎/助演・江波杏子/1965年・89分/10月6日〜12日

(8)『にっぽん・ぱらだいす』監督・前田陽一/助演・加賀まりこ/1964年・93分/10月13日〜19日

以上が、現在〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉で開催中のレイトショー企画「可愛くて凄い女たち」第2弾のプログラムである。恥ずかしながら、上記の作品の存在も内容も俺はまるで知らない。公開当時、恐らく大作の添え物的な役割を果たした映画達だろう。だが、こういうB級作品の中に意外な宝石が眠っている事も少なくない。黒澤やキューブリック映画のように、カネと時間と我侭の限りを尽くした超弩級作品も良いが、肩の凝らない小品や佳作を無性に観たくなる時もある。この映画館ではこのような意欲的な企画が常時組まれているのでありがたい。先日申し上げた通り、幸運にも(1)を観る事が出来た俺だが、機会があれば(2)〜(8)の上映にも駆けつけたいと思っている。関東在住の皆様、如何ですか?下に連絡先を記しておきます。興味のある方は是非お越し下さい。

★ラピュタ阿佐ヶ谷/東京都杉並区阿佐谷北2−12−21/電話(03)3336−5440

(2002/08/30)

「シネマパラダイス」

昨夜、NHK・BSの「シネマパラダイス」を観た。仲代達矢御大の登場である。テーマは「黒澤映画の撮影秘話」だった。その大半が文献等で既に確認済のものだったが、現場経験者が語るエピソードにはやはり厚みがある。かの『七人の侍』に出演した若き仲代。カメラの前をただ横切るだけの芝居に黒澤は6時間を費やしたという。自分の思い通りに動かない新人俳優に帝王がブチ切れる。仲代を指差して「あれは誰だ!」と絶叫。隣の助監督が「俳優座の人です」と答えると「俳優座は何をやっているんだ!歩き方も教えられないのか!」と恐ろしい怒声を張り上げる。撮影当時(昭和28年頃)は日本映画の黄金期。スタッフ、キャスト、野次馬、総勢200人の前で面罵された屈辱感は「今も私の中に残っています」仲代。そして「役者にとって、如何に歩き方が大事か、この時思い知りました」と話していた。彼の映画界における活躍はこの後から始まるのであった。それにしても、この番組の司会の小堺一機は全然駄目だなー。芸能界有数の映画通だそうだが、仲代に対する質問がとにかく薄っぺらい。はっきり言って面白くも可笑しくもない。もしかしてこれは台本なのか?だとしたら、余程無能な放送作家だな。番組中、やたらに黒澤映画を持ち上げていたけど、実はまともに観た事がないんじゃないか?もし本気で黒澤作品にハマった奴なら、仲代に聞きたい事は山ほどある筈だぜ。今回に限らず、彼のぎこちない司会進行にはイライラさせられる。小堺さん。もう少ししっかりしてくれ。これじゃあ、折角の賓客も腐ってしまうだけだ。

(2002/08/25)

女優がいない国

喫茶店で何気なく週刊誌を捲っていると「山口智子、ついに女優復帰か?」という記事が目に飛び込んできた。俺は随分前からTVとは疎遠の生活を送っている。観るのは映画とニュース程度か。そんな俺も彼女の名前は一応知っていた。茶の間で家族が彼女主演の連続ドラマを視聴していた際、俺もボーッと眺めていた記憶がある。懸命に演技をしているのは認めるが、何処かわざとらしく、嘘寒かった。不自然な表情も無気味であった。と言うより「演技をしているな」と、観客に意識された時点で役者は既に終わっている。山口本人は素晴らしい女性なのかも知れないが、役者としての才能には若干疑問がある。別に生活に困っている訳でもないだろうし、閑静な生活を満喫すれば良いと思うのだが。それとも1度、芸能界に足を突っ込んだ者は、華やかな世界を忘れる事が出来ないのだろうか。TVも映画も、今の日本は傑出した若手女優がほとんど見当たらない。小劇場に足を運ぶと、マイナー劇団には、容姿端麗にして演技力抜群の女優がゴロゴロしている。TV局や映画界のスカウト連中は何をしているのかね。ただ、舞台俳優の演技は必ずしも映像作品に適しているとは言えないらしい。それでも、学芸会以下の女優気取りを起用するよりは遥かにマシであろう。

(2002/08/23)

老雄倒れる

今月15日に島田正吾が脳梗塞で倒れた。病院に担ぎ込まれて、目下治療に専念中。本人は意外に元気そうらしいが、なにしろ96歳という高齢である。

心配するなと言う方が無理であろう。今年で67歳を迎えた百戦錬磨の緒形拳。さしものベテラン俳優も、大先輩たる島田の前では小僧扱いだそうな。白状すると、俺は島田の演技は余り接した事がない。和製SF映画の最大ヒット作『日本沈没』や伊丹十三の『あげまん』での重要脇役振りが微かに記憶に残っている程度だ。両作とも日本を陰からコントロールする〈真の支配者〉と言った役所であった。確か黒澤明の『隠し砦の三悪人』にも出演が予定されていた筈である。役は主人公と死闘を繰り広げる好敵手・田所兵衛。クロサワ演出による島田の雄姿はさぞ見栄えがしただろうと予想される。映画監督は原則として70歳が限界というのが俺の考えだが、役者の場合はどうだろうか。三國連太郎(78歳)辺りの怪物演技を観ていると「歳を取るのも悪くないな」と思う。島田は「99歳まで現役を貫く」と宣言しているそうだが、早く回復してその野望を完遂して欲しいものである。

(2002/08/22)

意外な反応

俺は〈彦根シネマクラブ〉に所属しているが、入会以来、1度しか例会に出席していないという不届き者である。7月例会の日も東京に潜伏していた為、参加するのは物理的に不可能だった。上映作品は中国映画の『こころの湯』であった。鑑賞チケットは絶対に俺が使用しなくてはならないという決まりはない。代理の者が会場に足を運んでもOKなのである。今回は我が後輩〈QB〉にチケットを託した。彼の場合、デートか何かで映画を観る事もあると思うが、恐らくその大半がハリウッド製の大量殺戮映画だろう。そんなQBに地味な中国映画が果たして耐えられるだろうか?途中で寝ちまうんじゃなかろーか。多少の不安を覚えつつ、7月例会は彼に任せた。そして後日。QBが「宮村さん。あの映画良かったですよ」という意外な感想が返ってきたのである。作品内の人物配置と自分自身のそれがシンクロする部分が多くあり、強烈なリアリティを感じたという。中国の豪勢な銭湯の様子も興味深かったそうな。どうやら俺は彼の感性を少々見縊っていたようだ。鑑賞後は、アンケート用紙に自分なりの意見を記入してくれたらしい。おいおい、俺よりも遥かに模範的な〈会員〉じゃないか。映画を見終わり、QBは、閉店セール中の〈ルーラル・リトリート〉にも駆けつけてくれたらしい。1時間程、店内の商品を吟味して、気に入った商品を購入。彼は残念そうに「あんな洒落た店が無くなるなんて寂しいですね」と言ってくれた。ありがとう。QBの信義には、いずれ応えなくてはなるまい。

さて、そろそろ北海道に出発致します。暫しのお別れ。皆様行って参ります。

(2002/08/11)

DVD『必殺必中仕事屋稼業』

先日『必殺必中仕事屋稼業』のDVDセット(上巻)を入手した。名作の多い「初期・必殺シリーズ」の中でも、随一の傑作と呼ばれるこの作品。ついに待望のDVD化である。そのテーマはずばりギャンブル!知らぬ顔の半兵衛(緒形拳)と侍崩れの政吉(林隆三)の主人公二人は博打狂のろくでなし。特に政吉は住所不定、生粋のアウトローである。彼らを中心に、賭博に身を染めた者の悲喜劇が描き出される。そして両者は、謎の女ボス・おせい(草笛光子)が束ねる〈仕事屋〉にスカウトされる。この稼業は、家出息子の受け取りから外道暗殺まで、あらゆる依頼を遂行する闇の便利屋だ。日本人が『007』や『スパイ大作戦』をやろうとすると、どうしても歪みや無理が生じてしまう。だが、時代劇というジャンルを利用すれば、相当な無茶も可能となるのである。思えば、かの黒澤明もその特性を最大限に活用していた一人であった。1975年放送の『仕事屋稼業』だが、映画で食えなくなった優秀なスタッフが参加しており、濃厚な映像を作り上げている。実験的な構図も随所に登場。大いに楽しませてくれる。この旺盛なサービス精神は、最近のTV番組には殆ど見られないものである。主要キャラクターの面白さもさる事ながら、毎回登場する悪役連中も癖の強いバケモノ揃い。強引な展開や御都合主義に目を瞑れば、ほぼ完璧な出来と言えるだろう。もし、DVD再生装置をお持ちで、且つお金に余裕のある人は是非お試しあれ。時代劇アレルギーの方にも観て戴きたい名品である。

(2002/08/01)

幻の企画

『海底軍艦』という特撮映画の佳作がある。俺ははるか昔、深夜放送で観た覚えがある。海底人類が目論む世界征服の野望を撃破すべく、超弩級万能戦艦〈轟天〉の活躍が繰り広げられる。轟天は第二次大戦中に極秘建造された日本海軍の究極兵器。無論、絶望的な戦況を逆転するのがその主眼である。ところが、完成前に日本は敗戦を迎えてしまう。祖国の不甲斐なさに、神宮司大佐(田崎潤)と轟天スタッフ一同はブチ切れ。その能力は宿敵たるアメリカではなく、世界平和の名の下に海底帝国の守護神・マンダ(異常に巨大な海蛇)に向けられるのであった…。彼らほど哀れな存在も稀だが、初期の特撮映画は常に戦争の影を色濃く引き摺っており、それが作品に奥行きを与えていた。最近、俺の知り合いの特撮マニアが、ある〈幻の企画〉を教えてくれた。それが『ゴジラvs海底軍艦』である。聞いただけで血が沸騰するタイトルだが、実現の可能性は零に近いそうな。地球最強の生物たるゴジラと超科学兵器の塊の大激突!期待は無限に膨張してゆく。頼む。東宝様。潰れるのはこの映画を作ってからにしてくれ!

(2002/07/30)

ライブの夜

その日。俺は下北沢の劇場を出て、一路京都へと向かった。無論、陳五郎氏のライブを拝聴する為である。東京駅で岡山行きの新幹線に飛び乗る。俺の下手糞な時間調整が災いし、今夜のライブ会場〈ざぶざぶ〉の最寄り駅に着いた時は既に8時を過ぎていた。完全な遅刻である。バタバタと改札口を抜けて、階段を駆け降りる。方向音痴の俺が、数分で会場を発見出来た事は一寸した奇跡と言えた。ドアを開けると、ズシリと腹に響く演奏が俺を歓迎してくれた。引き寄せられるように奥に進むと、第1級戦闘態勢に入った陳五郎氏のお姿が見える。先方も俺に気づかれて、ペコリと頭を下げて下さる。俺も会釈を返す。カウンター席に陣取り、冷酒を注文。アルコールと同時にピアノ演奏に酔いしれる。そして俺は肉眼で確認したのである。そう〈伝説の男〉佐渡氏の存在を。風貌、歌声、仕種、語り、何もかもが、音楽に全てを捧げた男だけが持ち得る貫禄へと繋がっていた。主役は陳五郎氏へと移る。自作の歌を底知れぬ熱さを秘めつつ、丁寧に歌詞を積み上げてゆかれるその光景に、俺は感動した。前半部が終了し、暫しの休憩。出演者の方々にまず遅刻のお詫びを申し上げる。俺は日本酒から焼酎に切り替えて、陳五郎氏と談笑。非常に興味深いお話を伺った。後半からは〈ざぶざぶ〉のマスターもライブに参加。場は益々盛り上がり、俺も調子に乗ってグラスを重ねる。あっという間にライブは終焉を迎えた。楽しい時間は過ぎ去るのが早い。俺は、お仲間と一緒に陳五郎氏の愛車に便乗させて戴く。メンバーのお二人を途中で降ろした後、氏の車は園部方面へとひた走る。目指すは我らが主宰、高坂氏のお屋敷である。

(2002/07/29)

ゴジラの中身

東北人とゴジラの因果関係は判りませんが…。ゴジラ(怪獣)は日本人の被害妄想の具現化ではないかと考えております。先の大戦で国土をズタズタに破壊された屈辱感と恐怖があのモンスターを生んだのではないでしょうか?敗北による精神的なキズというものはそう簡単には消えません。それとは別に、人間というものは〈異形の者〉や巨大生物を好みます。古くからある海竜やクラーケンの伝説。人智の及ばぬ大いなる存在。それに対する恐れと憧れが、かの怪獣王の中に溶け込んでいるような気が致します。ゴジラの初代スーツアクターたる中島春雄は大変な剛の者だったと聞いております。どの作品かは忘却しましたが、彼の相手役を務めていた愛弟子が、撮影用プールに沈んだまま上がってきません。弟子の危機を察した中島は、迷わずプールに飛び込みました。そして数分後、片手で溺死寸前の弟子を抱えて、心配するスタッフの前に姿を現したそうです。日本特撮映画の中興の祖たる円谷英二は、若い頃、花見会場で勃発した喧嘩沙汰を見事に仲裁。それを見ていた映画会社の重役が彼を気に入り、映像の世界にスカウトしたそうです。世界のクロサワの豪傑振りは有名ですが、円谷も負けてはいません。日本映画の全盛期の東宝撮影所では、円谷組と黒澤組のスケジュールが重なる時、他の組は撮影を遠慮したそうです。理由は両陣営が猛烈な電気量を消費するので、これ以上電気を使うと、ヒューズが飛びまくる為だったと伝えられています。邦画の黄金時代は、多くの英雄達がその活況を支えていました。そして現在は…余り喋りたくないですね。

(2002/07/27)

宿望!藤岡弘 対 千葉真一

昨年、NHK・FMの「日曜喫茶室」に藤岡弘が出演。その日のテーマである宮本武蔵について熱く語っていた。藤岡は米国の俳優組合に属するただ一人の日本人である。同番組内で、彼が主演したアメリカ映画『SF・ソードキル』の撮影裏話を披露していた。この作品は現代のニューヨークに冷凍睡眠していた侍が突如蘇るという紛れもないB級映画である。藤岡は持ち前の糞真面目さを発揮。異国のスタッフ相手に「侍というものは…」と、彼一流の〈もののふの定義〉を説明したという。ところが、彼らは藤岡の熱弁を聞こうともしない。痺れを切らした藤岡は、やおらに愛馬に跨り、大小二振りを抜刀。手綱は口で操りつつ、竹林に突っ込んで、手当たり次第に竹という竹を斬り飛ばした。恐るべき手練の技を見て、スタッフ全員が肝を潰したそうな。藤岡は「これで彼らも侍とは何たるかを理解してくれました」と豪快に笑う。この派手なデモンストレーションの後は、藤岡の思惑通りに撮影は円滑に進んだそうである。あちらのスタッフが彼を尊敬したのか、単に怖かっただけなのかは分からないが、如何にも〈最後の侍〉らしいエピソードと言えよう。私が観てみたいのは、藤岡弘vs千葉真一の対決である。日本が誇る二大豪傑の共演が未だに実現していない事に俺は大いなる不満を覚える。両雄激突を堪能出来る作品を誰か作ってくれないだろうか?因みに、千葉は、タランティーノの映画に出演が決定。役名は〈ハットリハンゾウ〉とか。大丈夫かな…。

(2002/07/25)

入場料金と上演時間

今度公開される『釣りバカ日誌』の新作は入場料金1000円で観られるらしい。松竹もかなり思い切った事をする。この〈デフレ入場料〉が吉と出るか、それとも凶と出るか。今年の2月『地獄の黙示録・完全版』を京都の劇場で鑑賞したが、料金は2000円であった。3時間半という超大作であり、内容的にも面白かったので、この特別料金に不満は感じなかった。むしろ価値のある2000円のように思えた。かの三國連太郎が「料金分に見合う芝居をするのが俳優の務めである」という意味の発言をしていた。俺も全くの同感だ。貧乏人にとっては1800円は決して安いとは言えないのだから。昨年、20本程、劇場で映画を観たが「料金に見合う仕事」をしていたと思われる作品は数本に過ぎなかった。入場料とは直接の関係はないが、最近の映画はやたらに長い。俺の集中力は2時間が精々だが、最近は3時間近い作品も珍しくない。黒澤やキューブリックのように映像を眺めているだけで楽しい映画は別として、通常の作品なら2時間以内に刈り込むのが無難であろう。編集という作業はその為に存在する。映画ではないが、先々月に3時間弱の芝居を観た。気の短い俺には相当な苦痛と言えた。それほど凝ったストーリーでもないのに、ダラダラダラダラ。何時までやっとるんや手前らは。長けりゃ良いってものじゃないぞ。観客が満腹感を覚える直前に、鮮やかな終幕を用意するのが作り手の器量。お客は作品が面白ければ文句は言わぬものである。

(2002/07/22)

「G線上のアリア」

それほど熱心なクラシックファンではないが、耳障りの良い曲は頻繁に聴いている。バッハの「G線上のアリア」が俺のお気に入り。雅で何処か切ない曲調がとても心地好い。この名曲はCM等にも幾度も採用されており、TVからこの曲が流れると、何の興味も無い商品なのについつい見入ってしまう。昨年公開されたB級サイコホラー『ザ・セル』の予告篇に「G線上のアリア」が使われていた。真っ暗な画面に「セル(脳)の中へ」という白いテロップが現われ、おもむろにこの曲が響き渡る。単細胞の俺は、それだけでこの映画を観たくなった。ところが、本篇には少しもこの曲が登場しない。どういう事やねんと思ったが、あれは予告篇のスタッフが独自の判断で挿入したものだったらしい。頼むから、紛らわしい事は止めて貰いたいものである。この曲は伊丹十三の『お葬式』や深作欣二の『バトル・ロワイアル』でも聴く事が出来る。その際、画面に格調らしきものが帯び出すのだから不思議である。クラシック使いの名手となると、スタンリー・キューブリックが外せない。彼の選曲センスは天才的だが「G線上のアリア」は残念ながら未使用である。キューブリック映画には「俺の作品の為にこの音楽があるんだ」と言わんばかりの自信が横溢している。

(2002/07/20)

組織

元来、単独では不可能な目的や目標を達する為に組織は存在するものだと思っていた。清廉な水が日を追う毎に濁り、腐敗してゆくように、組織も時間を経れば経る程、腐り果ててるものらしい。水を入れ替えると称して、高給取のオヤジどもの首が宙を舞う。一時的な経費削減の効果はあるかも知れないが、若い連中はその虐殺風景をよく見ている。そして思う「あれが俺達の未来の姿だぜ」と。結局、組織に必要不可欠な士気は低下し、全体に白けムードが漂う事になる。それにすら気づかない首切り役人のアホ面と無神経には流石にウンザリする。前世紀末に流行した『新世紀エヴァンゲリオン』はその辺りの葛藤を鮮やかに描き出していた。俺はこの作品は好きではないが、庵野秀明の才能は認めざるを得ない。その後『エヴァ』を気取った代物がゾロゾロと現れる。しかし、この作品に及ぶものはほとんどなかった。そう言えば、昔「ジャンプ」に大偽善者が主人公に居座る時代劇モドキが載っていた。これもさかんに『エヴァ』の猿真似をして喜んでいたが、実に醜悪であった。才能が余りにも違い過ぎるのである。はっきり書くと『るろうに剣心』という駄作である。この作者、最近見かけないが、己の愚行が嫌になり、首でも吊ったのだろうか。安易な模倣はパロディでも何でもない。不愉快なだけである。今年公開された『突入せよ!あさま山山荘事件』は、組織の内包する馬鹿馬鹿しさを延々と描き、秀逸であった。インテリ評論家には「イライラする」「アホか」と、酷評を受けたが、組織とはああいうものなのだ。人命より面子が大事という所に強烈なリアリティを見た。俺もまた末席とは言え、組織の一員。如何に俺が鉄面皮でも、多少はストレスを感じる。ここ数年、汚らしいものを見ない日の方が少ないくらいだ。ゴルゴ13やスカール等の一匹狼的キャラクターへの憧憬が、近年益々強くなっている。

(2002/07/07)

しょぼい役者

当社の誇る〈宮本武蔵〉の家庭では、一家揃って、NHK大河ドラマを鑑賞する習慣が現在も生きているそうである。武蔵も色色と忙しいので、流石に毎週という訳にはゆかないが、極力その鉄則に従っているようだ。昨年の今頃、俺は「今年の『北条時宗』は面白いかね?」と彼に聞いた。武蔵は「主演俳優がしょぼいからあきませんわ」と、バッサリ斬り落とした。そして今日、俺は日野町のレストラン〈芭蕉〉で笊蕎麦を食っていた。店内中央に据えられた大型TVでは、ネタ不足のワイドショーが映し出されていた。それによると、例の〈しょぼい役者〉が能楽協会から追放される事が決ったという。彼の背後には、見るからに胡散臭い(失礼)母親の姿が。彼の演技能力も多分に怪しいが、彼女の存在が彼の役者人生を狂わせている気がしないでもない。子を思う母の愛情は確かに美しい。しかし、限度を超えるとかえって嫌味だ。追放結構。野に下り、己の実力を試せば良い。駄目なら消え去るのみである。健闘を祈る。

(2002/07/04)

忘却の彼方3

高坂様と鯨の話をしている内に、俺はかつて見たある新聞記事を思い出した。それは、海生生物の王者たる鯨を淡水でも生存可能な生物に改造。サイズも小型化して、彼らを琵琶湖で飼育しようという計画があるというのである。その記事を読んだ俺はこう思った「まるで『海底牧場』やんけ」と。小学校の図書館のSFコーナーで俺はその物語に出遭った。舞台は食糧問題に悩む近未来。人類は鯨を家畜化する事に成功する。主人公は確か海底パトロール員だったと思う。鯨を襲撃する鮫と死闘を繰り広げる辺りは大いに興奮したものである。作者は、かの『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラーク。そこまでは覚えているが、名訳を披露してくれた人物の名前がどうしても出てこない。己の貧弱な記憶力を呪う。案外現在も活躍中の翻訳家かも知れないのだが…。鯨の群れが琵琶湖を悠々と泳ぎ回る光景はさぞ壮観だろう。だが、この話は結局計画倒れにおわったようである。

(2002/07/02)

食べる

北杜夫の『高みの見物』の前半部に「捕りたての鯨のステーキはバカにならない旨さ」という記述がある。俺も死ぬまでに1度は食ってみたいと思っている。そう言えば、反捕鯨派の鼻息は相変わらず荒い。頭の悪い俺には難しい事はよく判らないが、連中の「鯨は賢い生物だから食っちゃ駄目」という主張はどう考えても納得がゆかぬ。じゃあ、牛や豚はアホだから食べても良いのだろうか?思い上がりである。少なくとも俺にはその判断を下す資格はないし、また下したいとも思わない。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』の中盤に、篭城戦中の住民が、自分の餓鬼と隣家の餓鬼を交換。それを食べて飢えを凌いだという凄惨な場面がある。野蛮で残酷な行為だが、人間もまた生物である。生き延びるためには手段を選ばないという事だろう。現在の地球の王者は一応人類だが、何も神様を気取る必要はないと思うが。

(2002/06/29)

「キネマ旬報」に感謝

「キネマ旬報」は映画雑誌の老舗的存在である。他の雑誌と異なり、日本映画の情報や研究に重点が置かれているのがありがたい。俺は新作を観る度に800字程度の評論らしきものを書いては〈読者の映画評〉に投稿している。無論大半が爆死だが、年に2回か3回、奇跡的に掲載される事がある。最初に載ったのは、カルト作家・石井輝男の『地獄』であった。誌上に己の名が刻まれた時の嬉しさは未だに鮮明である。今から1年程前、俺は同誌の〈伝言板〉にて、高坂様による「奇魂」の同人募集記事を発見し、現在に至っている。実は、今年の6月上旬号の〈伝言板〉に当ホームページのURLを載せてもらったのだが、それには間違いがあった。俺は『教養講座』と共に訂正依頼文を添えて送付した。そして、7月上旬号発売。その〈伝言板〉には修正されたURLが掲載されているではないか。俺のような名も無き読者を大切に扱ってくれる素晴らしさ。この雑誌には様々な形でお世話になっている。これからもそうだろう。ただただ感謝である。

(2002/06/24)

ラジオは難しい

ラジオは残酷な媒体だ。音声だけでお客と勝負しなくてはならないからである。TVよりラジオの方が楽だと勘違いしているアホが多くて困る。放送時間を音楽と喋りだけで埋めなくてはならないのだから、これ程大変な事はない。ところが、この〈時間を埋められる者〉が異常に少ないのである。例えば、東京FMの「ニュース・アライブ」とかいう朝の情報番組。司会の橘某の進歩の無さにはイライラさせられる。毎回、時事問題について意見めいた事を吐き散らすのだが、面白くも可笑しくもない。この御仁、語彙が百程度しか持ち合わせていないのでどうしようもない。他にも無能DJは沢山いるが、己の失敗を下品な笑いで誤魔化す奴には、吐き気すら覚える。その点「日曜喫茶室」のはかま満夫や「ずばり勝負」のミッキー安川は、練達した話術を備えているので安心して聴ける。面白いものは面白いし、詰まらんもの詰まらん。送り手の年齢は無関係だと思う。

(2002/06/24)

「ミッキー安川のずばり勝負」

金曜日の午後はKBS京都に限る。芸能界の爆弾男・ミッキー安川が司会を務める「ずばり勝負」が面白過ぎる。一昨日、営業車内で久々に聴いた。今回の攻撃目標は大手金融機関。相手が銀行になるとミッキー安川の舌鋒はいよいよ冴える。興奮の余り、呂律が回らなくなる事もしばしばだ。彼一流の毒舌と極論の連続射撃に、俺は腹を抱えて笑い転げる。この爆弾男、先日ゴルフ場で某大銀行の重役と鉢合わせしたらしい。その内の一人が「ミッキー、手前は何で俺らを目の敵にするんだ」と絡んできた。安川は「うるせえ、俺は本当の事しか喋っちゃいねえ」と猛反発。大喧嘩を展開したらしい。とにかく元気なオヤジである。同番組にこんなFAXが送られてきた。ワールドカップ開場にて、自称早稲田の男4人が、対戦国の国家斉唱の際、下品極まる乱痴気騒ぎを繰り広げたそうな。この連中、周囲の注意にも耳を貸す気配すらなかったという。これを受けて、またしてもミッキーが激怒していた。俺も劇場で奇々怪々な行動に出る客に遭遇する事が多い。あの種の生物を見ると正直殺意を覚える。日本人よ、もう少しキチンとしようぜ。

(2002/06/23)

古本屋の死闘

1年程前、渋谷の古本屋に入った。看板の下に「映画関係の文献多数」という宣伝文句が気になったからである。入店すると「万引防止」と称して、荷物を一時没収される。客を半ば泥棒扱いする態度にムカついたが、結局は従う。店内には書物の山脈が築かれていた。本棚から溢れ出たものは、直接床に置いてある。暫時物色…20年前に出版されたキューブリックの研究書を発見した。値段も適当なので喜んでいた刹那、店主らしきオヤジの怒声が俺の耳を貫く。犯罪発覚か?店主の攻撃目標は小柄な中年男性。どうやら、このお客、購入した本の必要部分だけを剃刀で切除し、残った「残骸」を何食わぬ顔で返品。代金を取り戻している模様である。彼はその常習犯であり、ついにオヤジもブチ切れたらしい。世の中、色んな人がいるものですな。

(2002/05/20)

「日曜喫茶室」礼賛

NHK・FMの「日曜喫茶室」は素晴らしい番組である。俺は予約録音し通勤の車内で聴いている。司会は芸能界の実力者・はかま満緒。メインゲストは、画家の安野光雅やドイツ文学者の池内紀等の錚錚たる顔触れが揃う。毎回面白いテーマを掲げ、その道のエキスパート2名が出演するという豪華さである。日本にもユニークな人材が沢山いる事が判り、頼もしい。開始から20年以上が経つ長寿番組であり、俺は高校生の頃からのファン。初めて聴いた時の話題は手塚治虫。ゲストは大友克広と山本瑛一(虫プロ関係者)だったと記憶する。当事者ならではの興味深い話と宝石のような音楽の数々。これを聴いてしまうと、テレビのトーク番組なぞ馬鹿馬鹿しくて観られなくなるぞ。放送時間は…毎週日曜・午後0時15分〜2時迄。是非お試しあれ。

(2002/05/15)

声優は難しい

随分前、NHK・FMの「日曜喫茶室」に声優学校の校長が登場。声の仕事に関する様々なエピソードを語っていた。当世は声優希望者が多く、大層な繁盛らしいが、反面、この稼業をナメたアホも少なくないという。役者としての総合的な修行を積んで初めて「声の演技」も可能となる。声のみで登場人物を表現するのだから、通常の演技よりも高度な技術が要求される訳である。アホ志願者の皆様はその辺りの認識は全く無いようだ。頼む、消えてくれ。最近は人材不足なのだろうか?粗製濫造の輩が堂々と出演し、聴いている方が恥ずかしくなるような学芸会演技を披露して下さる。出直して来い馬鹿野郎。かの山田康雄御大は「声優」という呼称が大嫌いで、自分はあくまでも俳優であり、声優はその一環であると常々強調していたそうである。

(2002/05/15)

2002年の『2001年宇宙の旅』

ウチの会社は美男子や快男児が多く、俺のような策士タイプは何処となく肩身が狭い。豪傑達の代表格がDVDを所有していると聞いて、我がキューブリック作品群を試して貰っている。まずは、開幕直後から下劣極める罵詈雑言が迸る戦争映画『フルメタル・ジャケット』続いて、キューブリック最初で最後のホラー映画『シャイニング』次に、ブラックユーモア満載の暴力映画『時計じかけのオレンジ』そして彼は『2001年宇宙の旅』に辿り着いたのである。あくまでも謙虚な我が後輩は「何だか訳が分かりませんね」と、正直に吐露した後「もう1度じっくりと観てみます」という嬉しい言葉を返してくれる。訳が分からないのに面白い…これぞ大キューブリックの魔力。

(2002/04/17)

hr

このサイトのコンテンツ

兇状旅のサイトについて

Copyright(c)H16〜 Bungei Kenkyu Jimukyoku. All rights reserved.

下部広告スペース

inserted by FC2 system