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映画の渡り鳥2

『木枯し紋次郎』

先日。衛星放送で『木枯し紋次郎』(1972年公開)を観た。

主演は中村…ではなく仁義なき菅原文太。監督は市川…ではなく中島貞夫(ヤクザ映画多数)である。

一匹狼のアウトローな日々が綴られるのかと思いきや、いきなり紋次郎は島流しに。ひょんな事から知り合ったヤクザ(小池朝雄)の身代わりを自ら買って出たのである。言うまでもないが、全ては小池の仕組んだ周到な罠。クールな性格に見えて、実は必要以上に情に脆い男。それが木枯し紋次郎である。小池は彼の弱点を見事に利用した訳だ。こういう役がまた小池にはよく似合う。

火山島における地獄のような生活が、この映画の半分を占めている。ここに流された罪人は、自分の食い物は自分で調達しなくてはならないルールだ。何らかの芸がある者は良い。紋次郎もせっせと竹籠を編み、食糧や生活必需品と交換している。だが、そうでない者は大変だ。農家の畑にでも潜り込んで作物を盗み取るしかない。見つかったら袋叩きの末に生き埋めにされるという運命である。無惨。これならアルカトラズの方が、飯を食わせて貰えるだけマシである。待てど暮らせど姿を現さない御赦免船。脱獄を企てれば勿論縛り首。極悪人は「さっさと死ね」というのがお上の御意向のようである。

最初は心配したが、文太が紋次郎役に案外ハマっている。深作映画等で見せるギラギラしたアクの強さはここにはない。文太は抑制を利かせた演技で、紋次郎の底知れぬ生命力や迫力を巧く表現している。脇役の中では、紋次郎を「兄貴兄貴」と慕いつつ、密かに彼を殺そうと企んでいるゴロツキ役の伊吹吾郎が面白い。

紋次郎vs刺客団との死闘に巻き込まれ、瀕死の重傷を負った伊吹。血みどろ汗みどろの割には喋る喋る。その見苦しさが最高だ。死…死にたくねえ。まだ死にたくねえ。でも痛いから殺してくれー。いや、やっぱり死ぬのは嫌だ。殺されるのは嫌だ。生きたい。生きていたいよ。うぎゃー。いいいい痛い痛い痛い痛い。殺してくれー。殺してくれー。殺して…ぶすっ。キリがないので、紋次郎は伊吹の咽喉元を刀で貫き、トドメを刺す。

物語終盤、紋次郎は小池とグルになって自分を騙した女(江波杏子)と対峙する。烈しいチャンバラの果てに、小池は紋次郎の刃に倒れ、組織自体もほぼ壊滅の状態。親から勘当を喰らった江波には生活のアテは全くない。おまけに小池の息子までいる。彼女もまた「もう私は生きられません。私を殺して下さい。行くなら、私を殺してから行って下さい」と哀願する。と頼まれても、紋次郎にその気はさらさらない。何故なら、この女には殺す価値すらないのだから。そんな江波をゴミを見るような目つきで眺める紋次郎。そして一言、

「あっしには関わりのねえ事でござんす」

キマった…。このカタルシス。このキメ台詞をキメる為だけに存在するような映画であった。

(2003/10/23)

『忍者秘帖・梟の城』

先日。衛星放送で工藤栄一の『忍者秘帖・梟の城』(1963年公開)を観た。

原作は司馬遼太郎の忍者小説。篠田正浩版(1999年)には酷く落胆させられた覚えがあるが、こちらはまずまずの出来。ダラダラダラダラ続く篠田版とは違って、原作の娯楽部分を巧みに抽出した脚本が鮮やかであった。手掛けたのは、かの池田一朗(隆慶一郎)である。

時は太閤秀吉の時代。家族を虐殺された伊賀最強の忍者・葛籠重蔵。彼は一族の仇である秀吉の命を狙う。最高の戦闘技術を有しながら、非情に徹する事が出来ない主人公を、大友柳太朗が演じている。太刀捌きは流石に慣れたものだが、忍者の持つ翳りを表現するには大友のキャラクターは明る過ぎた。むしろ、重蔵のライバルにして元同僚・風間五平に扮した大木実の方が魅力的である。

戦国乱世も収束を迎えつつある。これに困ったのが、忍者集団である。彼らの暗殺能力も世の中が平和になってしまうと使い道がない。次第に仕事も減ってくる。伊賀者も甲賀者も食い繋ぐ為には必死の努力をしなくてはならない。この辺り、不況に七転八倒する現代のセールスマンを思わせる。いつの時代も労働階級は大変。

映画のクライマックス。重蔵は怨敵の首を刎ねるべく、大阪城に潜り込む。ついに秀吉の寝室に辿り着く重蔵だが、秀吉の老け込みように愕然とする。これが、このジジイが俺の標的なのか…。重蔵の下した決断は観てのお楽しみ。集団時代劇の名手として、映画にTVに活躍した工藤の手堅い演出が光る。

(2003/10/20)

『栄光のル・マン』

先日。衛星放送で『栄光のル・マン』(1971年公開)を観た。

主演はアウトロー俳優の代表格スティーブ・マックィーン。

マックィーンは製作と脚本も兼任しており、この作品に懸ける意気込みを感じさせる。

毎年6月に開催される世界最大の24時間耐久レース。今年も会場であるル・マン市に続々と人が集まってくる。それぞれが自分なりの野心や欲望を抱いている。虎視眈々と優勝を狙う各ドライバー。上位に食い込む事で社名を高めようという自動車会社も数多い。

観客席を埋める人間の群れ。マスコミ関係者、カーマニア、写真好き、カップル、餓鬼、食べものの屋台…ル・マンには、これだけの人間を動かす力を有している。一種の怪物である。題名を思い起こすまでもなく、ル・マンという名の怪物がこの映画の主役なのである。マックィーンもその怪物を形成する部品のひとつに過ぎない。

映画は過酷な耐久レースの詳細を克明に描き出す。最強マシンの走行場面の迫力。ピット・イン時の燃料補給やタイヤ交換の慌しい光景。焦燥するレーサーの表情。ライバルチーム同士の意地の張り合いと駆け引き。自身もライセンスを所得しているマックィーンのこだわりを感じさせる映像が続出する。登場する被写体は、全て実際に用意されたものである。本物の重量感がここにはある。

物語の後半、レース途中でリタイアしたマックィーンに昔の女が問いかける。

「人より速く走る事がそんなに大切なの?」と。

答えようのない質問である。登山家に向って「あなたは何故山に登るのか?」と尋ねるようなものである。だからマックィーンも答えにならない答えを返すしかない。引退するか、事故で再起不能、もしくは死亡するまで、闘いは続く。それが、ル・マンに魅せられた者の宿命なのである。

(2003/10/18)

英断

★コースに復帰したマックイーンが逆転優勝すると信じていましたから。

実は俺もそう思って観ていました。だが、そうならないところにこの映画の個性があるような気が致します。製作の総指揮を執っていたマックイーンなら、いくらでも自分の都合の良いラストが用意出来た筈です。敢えて苦い結末を選んだマックイーンに拍手を送りたいと思います。ところで、河合稔(小川ローザの夫)はレース中ではなく、試験走行時の事故で亡くなったそうですね。栄光のル・マンは常に死と隣り合わせ。それが独特の緊張感を生むのでしょうか…。

(2003/10/20)

『ペイルライダー』

先日。衛星放送で『ペイルライダー』(1985年公開)を観た。

製作・監督・主演、クリント・イーストウッド。イーストウッ度100%西部劇。紛れもないオレ流映画だ。

砂金掘りの収入で細々と暮らす小さな集落。鉱脈狙いの金持ち(ほとんどヤクザ)の執拗な嫌がらせが続き、村を捨てる者も少なくない。度重なる迫害にもメゲず、村のリーダーは近くの町に買出しに行く。飛んで火にいる何とやら。待ってましたとばかりにゴロツキどもが因縁をつけてくる。そこへふらりと現れる謎の男。無論イーストウッドである。頼まれてもいないのに田舎ヤクザをボコボコにブチのめす。理由はねえ。俺はヒーローなんだ。

この映画でイーストウッドは牧師役に挑戦している。全身アウトローの彼としては余りにも意外な職業だが、悪党を見れば、殴り倒すか撃ち殺すかのどちらかであり、やってる事はダーティハリーといっしょ。

正体不明の聖職者に手を焼いた企業ヤクザは、強力な助っ人を呼び寄せる。腕利きの保安官&6名の部下である。カネさえ貰えば善人だろうが弱者だろうが、平気で殺戮するというとんでもない連中である。この冷血保安官を演じるジョン・ラッセルが良い。ラッセルの本業はミュージシャンだそうだが、イーストウッドに匹敵する貫禄と迫力を有している。堂々たる敵役がいるからこそ、正義の味方の魅力も映える。この辺りは流石イーストウッド、映画の肝はガッチリと押さえている。セコい悪役を何人ブッ殺したところで観客は喜ばない。

保安官はどうやら牧師の過去を知っているらしい。しかし、主人公が寡黙なら宿敵も寡黙。彼もまた多くを語ろうとしない。この奥床しさ。ウザい回想シーンが挿入される事もなく、物語は牧師vs保安官軍団の決戦へと突入する。クライマックスの殺陣は入念に作り込まれており、緊迫感充分。

イーストウッドは、西部劇の定石に忠実な物語を、奇を衒わずに正攻法で撮り上げている。それが奏功し、彼の俳優としての魅力&監督としての技量が堪能出来る作品になっている。全篇に溢れる「俺は俺の歌を歌う。文句あるか」という開き直りにも似た潔さが心地好い。

(2003/10/15)

『蒲田行進曲』

先日。図書館で深作欣二の『蒲田行進曲』(1982年公開)を観た。

原作はつかこうへいの同名戯曲。映画版の脚本もつかが手掛けている。

物語の舞台は《大東映》撮影所。風間杜夫が我儘放題のスター俳優を熱演している。普通、役者という職業を選ぶ人は、自己顕示欲がケタ外れに強い。自分をよく見せたい。他人より目立ちたい。そうでなくては、この仕事は務まらない。こういう連中を束ねなくてはならないのだから、映画監督というのは大変な稼業である。

スター同士の対立も深刻だ。この映画では、風間のライバル的存在として原田大二郎が登場する。撮影中、両雄は何かにつけて衝突する。その大半が餓鬼の喧嘩のようなレベルなので周囲はウンザリ。当人達だけが元気である。だが、彼らがゴネると撮影が進まないので、監督&スタッフも神経を磨り減らす。恐らく、深作も似たような経験を散々してきたのであろう。監督役の蟹江敬三が、彼の鬱屈を代弁している。

風間の第1の子分を平田満が演じている。平田は自分の大将にとことん惚れ込んでおり、如何なる非人道的な命令にも忠実に従う。盲目的な崇拝であり、ここまでくると気持ちが悪い。それとも、半失業状態の大部屋俳優が生計を立てる為には、彼のように卑屈にならざるを得ないのか。

物語の後半、平田は積もりに積もったストレスを爆発させるが、その矛先が直接風間に向う事はない。彼をここまで動かすものは何なのか?風間の傍若無人さに関しては、イヤと言うほど描き込まれているものの、人間的魅力については描写が不足している。その為、平田の行動にやや疑問が残る。

風間の子を腹に宿す女を松坂慶子が演じている。松坂の妊娠が出世の妨げになると判断した風間は、平田に結婚を命じる。身勝手極まる風間のやり方に松坂は憮然。犬のように従う平田に怒りをぶつける。だが、彼の献身的な姿勢にいつしか心を開いてゆく。

女性特有の儚さと逞しさを松坂は巧みに演じており、この映画は彼女の代表作と言って良いだろう。松坂の魅力を最大限引き出した深作演出も見事である。流石に彼女の全てを知り尽くした監督だ。

この映画には意外な幕切れが用意されている。まるで伊丹映画のような終り方に、一瞬興醒めしたが、この作品の題材を考えると、案外相応しいラストかも知れないなと思い直した。

(2003/10/13)

『人間の証明』

先日。深夜放送で『人間の証明』(1977年公開)を観た。

原作は森村誠一。製作は当時鼻息が荒かった角川春樹。彼としては2本目の映画であり、作品の出来はともかくとして、興行的には大成功を収めた。莫大な銭を宣伝に投下した春樹作戦の勝利であった。

主人公は衣装デザイナーの岡田茉莉子である。大物政治家(三船敏郎)を夫に持ち、何不自由のない生活を送る岡田だが、彼女は余人には想像もつかない陰惨な過去を秘めていた。芸術家としての位置を固めつつある今になって、その「過去」が蘇り、彼女に襲いかかる。全ての因縁を断ち切るべく、己の手を血に染める岡田。そして、このややこしい際に馬鹿息子(岩城滉一)が范文雀を轢き殺す。

文雀の夫(長門裕之)と不倫相手(夏八木勲)が繰り広げる脇狂言が意外に面白かった。

良心の呵責に耐えられず、自首を決意する岩城。息子の血を吐くような告白を聞いた岡田だが「そんな事をしたって、死んだ人は生き返らないわよ。どーせ逃げるならとことん逃げなさい」などと強引に説得してしまう。岩城にではなく、むしろ自身を叱咤するような岡田の表情が良い。息子はママの言いつけ通りにニューヨークへ逃亡する。

この事件を追うのが、いつも不機嫌な顔をしている刑事・松田優作である。彼もまた忌まわしい過去に呪縛されている。敗戦直後、闇市の真ん中で米兵数人に父親を殴り殺されたのだ。餓鬼の優作にはそれを見ているしかなかった。この瞬間、彼の脳内に鬼畜米英の精神が刷り込まれたのであった。そして、岡田こそ父惨殺の原因を作った人物だったのだ。

物語の後半、優作は岩城を捕える為に単身ニューヨークへ。そこには恐るべき偶然が彼を待っていた。彼の協力者となる当地の刑事(ジョージ・ケネディ)との出会いがそれである。ケネディの腕の甲に刻まれた蠍のタトゥー。それは父殺害メンバーの証明であった。江戸の仇をニューヨークで…宿敵を射殺するかどうか、苦悩に沈む優作の出した答えとは?

三船を筆頭に鶴田浩二、北林谷栄、伴淳三郎…脇役陣の顔触れが異常に豪華である。ここでも春樹の札束作戦が利いたのか、名優・怪優が続々と画面に登場する。賑やかで楽しい光景ではあるが、各俳優の個性を引き出すまでには到底至っておらず、オールスターキャスト作品特有の大味な印象を否めない。

(2003/10/10)

『ジュラシック・パーク』

先日。スティーブン・スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(1993年公開)を観た。

今迄に何度も鑑賞の機会があったのに、その度に観逃してしまっていた。気がついてみれば公開から既に10年が経過していた。

公開当時の評価は余り芳しくなかったように記憶する。スピルバーグほどの大家ともなると、支持者も無数にいるが、扱き下ろす奴も少なくない。中にはスピルバーグというブランドを激しく攻撃する事で、自分の名を上げようという映画評論家のセンセイもおられるようである。

かちゃかちゃっ。ういーん。そんな事をふにゃふにゃ想い出しながら、録画テープをビデオ内に滑り込ませた。

恐竜…かつての地球の支配者たる巨大爬虫類を現代に復活させるという空前の計画。琥珀の中に封印された蚊の血液を採取して、恐竜を蘇生させるプロセスは背筋をゾクゾクさせるが、それ以上の発展が見られないのが致命的であった。以前のスピルバーグなら、もう一工夫も二工夫も重ねてくれたような気がする。

例えば『ジョーズ』(1975年)などは人食い鮫がウロウロするだけの単純な話だが、様々なアイディアを惜しみなく投入しており、非常に贅沢な感じの作品に仕上がっている。あの厚みは一体何処へ行ってしまったのか。

多分、子供が観る事を意識した為だろう。過激なシーンや残酷描写は最小限に抑えられている。万人向けにはなったが「人間を食い殺す生物」が有する迫力や凶暴性は随分と薄まってしまった。折角のティラノサウルス御大も妙に上品だったのも残念だ。王の中の王、史上最強を誇る肉食恐竜である。もう少しハメを外してくれても良かったのでは?スピルバーグの手加減がもどかしく、一寸イライラする。

登場人物の造詣もやっつけ仕事気味。この内の何人かは恐竜さんに食べられる訳だが「ざまあみろ」と罵りたくなるほどの悪人はおらず、その死を悼みたくなるほどの魅力的な人物もいない。食われようが、逃げ延びようが「ああそうですか」で終ってしまうのが哀しい。全体的に緊迫感が乏しいのはそれが原因だと考えられる。

この映画は「生きた恐竜が見学出来るテーマパーク」の開園前の物語である。故に犠牲者も数人で済んだ。もしこの映画が開園当日を描いていたとしたら…多数の入場者に襲いかかる肉食恐竜の群れ…阿鼻叫喚の地獄絵図…相当強烈なパニック映画が出来上がったのではなかろうか。だが、それを映像化しようと思うと、最新のCG技術を駆使したとしても、かなり難しいかも知れないが。

この映画には続篇と第3作(確か監督は別人)が存在するが、いずれ観てみたいと思う。何だかんだ言って俺は恐竜好きなのだ。そして、数多の批判にも懲りずに映画を撮り続けるスピルバーグにも好感を抱いている。

(2003/10/08)

『アルカトラズからの脱出』

先日。衛星放送で『アルカトラズからの脱出』(アメリカ映画・1979年公開)を観た。

主演はクリント・イーストウッド、監督は『ダーティハリー』のドン・シーゲル。

脱獄志願者のやる気を失くす厳重警備体制が張り巡らされた監獄島アルカトラズ。今日もまたこの地獄に新たな囚人が送られてくる…全身アウトロー、イーストウッドの登場だ。執拗な身体検査を終えたイーストウッドは、狭苦しい檻の中へ。その際に発せられる「アルカトラズにようこそ!」という素敵な掛け声が、囚人の神経を逆撫でする。

入所早々、共同シャワールームでホモに迫られるイーストウッド。×××の代わりに石鹸を食わせて、変態野郎のどてっ腹に鉄拳を数回叩き込む。ぐえっ。潰れた蛙のように床に転がるホモ囚人。執念深い蛙はこの時の恨みを忘れず、イーストウッドの××ではなく命を狙うようになる。

映画の前半は囚人達の生活振りが丁寧に描かれている。監獄の中にも○と●の対立や軋轢が存在する。食事や休憩の時間にも彼らは決して交わろうとしない。●側のボスに近づき「俺は黒人が嫌いだ」と言ってしまうイーストウッドの凄さ。一歩間違えれば、その場でブッ殺されるところだが、逆にその率直さが気に入られるのである。イーストウッドだからこそ許される展開であろう。

意外に真面目な刑務所ライフを過ごすイーストウッドだが、その脳内では周到な脱出計画が組み立てられていた。腕の立つ仲間を募り、着々と作戦を進めるイーストウッド。絶対不利な状況を叡智の限りを尽くして突破するサマが極めてスリリングだ。リアリティに徹した造り(脚本も実話がベース)なので、看守を殴り倒す等の安っぽいアクションは一切ない。この映画のイーストウッドは腕力ではなく頭脳で勝負している。

やたらに食事場面の多い作品でもある。仲間との情報交換や会話は食堂以外不可能だからである。彼らが何を食っているのかよく判らないが、次第にそれが旨そうに見えてくるから不思議である。実際はえらくマズいと思うが。

主人公の正体は最後まで謎である。どんな罪を犯したのか?所長の話によると、どうやら家族も友人もいないらしい。一体彼は「何の為に」大変な危険を冒してまで、脱獄を試みようとするのだろうか?彼の行動理由が不明なのが神秘的でもあり、無気味でもある。だが、それも悪くない。説明が少ない分、観客が想像する余地が生じるのだから。個人的にはそういうタイプの映画が好きである。最近の映画は映像にせよ人物にせよ、饒舌なものが多過ぎる。

(2003/10/07)

『いつかギラギラする日』

先日。深夜放送で深作欣二の『いつかギラギラする日』(1992年公開)を観た。

『暴走パニック・大激突』(1976年)以来、久々に放ったギャングアクション。登場人物の大半が犯罪者か悪党というのが気持ち良い。文芸路線やSFも良いが、やはり深作映画はこうでなくてはいけない。

萩原健一、石橋蓮司、千葉真一、の3人はタタキ(現金強奪)のプロフェッショナル。息の合ったチームプレーで数々の修羅場を潜り抜けてきた。今回の仕事の舞台は北海道。リゾートホテルの売上金を満載した輸送車を、運搬中に襲撃しようという計画である。この情報とアイディアを持ち込んだのが、音楽好きのチンピラ・木村一八である。

作戦は見事成功。しかし、期待していた金額(2億円)を大幅に下回る結果(5000万)に激怒した一八が暴走する。ずどーん。まず、石橋が凶弾に頭をブチ抜かれて即死。ぱぱぱぱぱぱん。我らが千葉師匠も胸と腹に被弾。萩原のみが辛くも逃げ延びる。どかーん。一八が仕掛けた爆薬でアジトは大崩壊。

強奪金全部を横取りした一八をショーケンが追う。たかが5000万にプロ中のプロが執着するのは不可解な気もするが、これは「餓鬼にナメられてたまるか」というオヤジの意地を賭けた闘いであり、石橋&千葉の仇を討つという復讐戦でもある。萩原は全篇出ずっ張りの大熱演を見せる。

脇役陣も充実しており、原田芳雄…シャブ中毒の殺し屋、八名信夫…弱小ヤクザ、安岡力也…武器密売人と、アクの強い顔触れがアクの強い役を実に楽しそうに演じている。そして、この物語の中で最も異常な存在が荻野目慶子(千葉の愛人)である。言動と言い、行動と言い、どう考えてもキ××イとしか思えないが、意外に冷静な面もあり、萩原や一八を大いに困らせる。荻野目は続く『忠臣蔵外伝・四谷怪談』(1994年)でも怪演を披露している。

『いつかギラギラする日』は深作&千葉の名コンビが組んだ最後の映画となった。その割には、師匠の活躍部分が少ないのがファンとしては残念である。他にも幾つか不満点はあるが、丸山昇一の脚本の出来が良く、観る者を退屈させない上々の娯楽活劇に仕上がっている。

(2003/10/06)

『センターコートの幻影』

先々月、衛星放送で『センターコートの幻影』(1971年・アメリカ映画・日本劇場未公開)を観た。

奇妙な味わいの作品だった。前置きが延々と続き、さあいよいよ事件が起こるぞ、物語が動き出すぞと思わせた矢先に終幕。なんじゃこれは?てな感じで観る者を煙に巻いてくれる。

主人公はプロテニスプレイヤーだが、スポーツ映画ではない。試合場面もあるにはあるが、然程迫力は感じられないし、作り手も余り興味がないようである。果たして、主人公は勝ったのか負けたのか、それさえもはっきりしない。

ある夜。主人公はコーチと共に怪しげなパーティに参加。そこで素敵な女性カメラマンと巡り合う。運命的な出遭い。互いに気に入った2人は即結ばれるのだった…。では恋愛映画かと言うと、そうでもないらしい。主人公はデートの度に「僕が子供の頃は、テニスなんて女がやるものだとバカにされてたなあ。特に父親は…」などとブツブツ文句や愚痴を垂れる。その際の彼女のウンザリした顔が一寸面白い。

即興で書かれたような脚本。物語性は皆無に等しいが、当時の風俗や流行を捉えたザラついた映像は俺好み。フィルムに記録された70年代のアメリカの風景は結構魅惑的であった。BS2の「ミッドナイト映画劇場」は、こういう訳のわからない作品が時折飛び出すので、中々に侮れない。

★監督…ジェームズ・フローリー/出演…ボー・ブリジッス、モード・アダムス、ギルバート・ローランド他

(2003/10/05)

『運動靴と赤い金魚』

先日。ビデオで『運動靴と赤い金魚』(イラン映画・1997年公開)を観た。

俺がイラン映画を観るのは恥かしながらこれが初めて。

買物の途中、主人公の少年は妹の靴(修理済)を失くしてしまう。帰宅後、少年は妹に平謝りに謝るが、妹の怒りは容易には治まらない。何故なら、彼らのウチは年中火の車。家賃は何ヶ月も滞納しており、ぎっくり腰の母親はまともな治療も受けられず、それどころか八百屋に払うカネにさえ苦労する有様なのだ。新しい靴を購入する余裕など何処にもない事を、聡明な兄妹は知り尽くしている。妹は「明日から学校にも行けないわ」と嗟嘆に暮れる。困った兄貴は「サンダルを履いて行けばいいじゃねえか」と提案するが「あんまりだわ」と泣き出す妹。

結局…兄の運動靴を2人で「共用」する事になった。この一寸した事件を起点として、滑らかに動き出す物語が鮮やかである。登場人物に過剰に感情移入をせず、一歩引いた控えめな演出が心地好い。出演者の自然な演技にも感心させられるが、その大半が素人俳優というのだから仰天だ。

物語の後半、少年は父親のアルバイト(即席の庭師)に駆り出される。そして、カメラは映画の主要舞台である貧民街から一転、かの国の高級住宅街を映し出す。高速道路に高層ビル。東京や大阪と変わらない風景。主人公達の移動手段は壊れかけた自転車。立ち並ぶ豪邸の数々…この「格差」は一体何なのか?観る者は興味と疑問を覚えるが、映画はその理由を語ろうともしない。親子の効率の悪い営業活動を淡々と捉え続けるのみである。

生前、かの黒澤明がイラン映画のレベルの高さを激賛していたが、それも納得の出来栄えであった。余計な描写は削り取り、ハッピーエンドの直前で幕を降ろす唐突さも、強烈な印象を残す。ずっしり重い1時間28分。

★監督…マジッド・マジディ/出演…ミル=ファロク・ハシェミアン、バハレ・セッデキ、アミル・ナージ他

(2003/10/04)

イラン映画

★アッバス・キアロスタミという監督がいます。イラン映画に漬かりたかったらぜひ、一度観てください。

流石にしみじい様は何でもよく御存知ですね。貴兄に比べると、俺などは駆け出しの映画好きにしか過ぎません。まあ。比較する事自体おこがましいのですが…。貴兄のお薦めはアッバス・キアロスタミの『クローズ・アップ』ですか。俺の手元に「黒澤明が選んだ百本の映画」という資料がありますが、そのひとつに、同監督の『友だちのうちはどこ?』(1987年)が選抜されています。こちらの出来は如何でしょうか。それにしてもイラン映画は質が高く、懐が深そうですね。今回観た『運動靴と赤い金魚』はカネはかかっていませんが、その分、知恵を絞っている感じがして、とても好感が持てました。

(2003/10/05)

『狼よさらば』

先日。深夜放送で『狼よさらば』(アメリカ映画・1974年日本公開)を観た。

主演は先々月に大往生したチャールズ・ブロンソン。物語の舞台は犯罪都市ニューヨークである。良き妻、良き職場に恵まれ、充実の人生を送っていたブロンソンに突如災いが襲いかかる。自宅に凶暴なゴロツキが侵入したのだ。ケダモノ達は乱暴狼藉の限りを尽くす。結果、妻を撲殺され、娘も強姦されかかった時の衝撃で、半ば廃人と化した。犯人の見当もつかないという警察の無能振りに絶望するブロンソン。加えて、娘婿の無責任な態度に彼のイライラは頂点に達する。

失意のブロンソンは「気分転換でもしてこいや」という上司の計らいでアリゾナに飛ぶ。そして、かの地におけるガンマニアとの邂逅が、ブロンソンの内に眠る〈狼〉を呼び覚ますキッカケとなる。

「自分の身は自分で守るしかねえな…」という結論を得たブロンソンは、夜な夜なニューヨークの危険地域をうろつき回り、チンピラどもを片っ端からブチ殺す。第1の殺人では思わず嘔吐してしまったブロンソンだが、回を重ねる毎に、標的の誘い出し方から、トドメの刺し方までサマになってくる。凶事以来、体調が優れなかったブロンソンが「害虫駆除」のカタルシスのお陰で、食欲が回復する描写が妙にリアルだ。

ブロンソンの地道且つ異常な活動は、ニューヨーク中の話題となる。市民の反応は概ね好意的で、ついには〈幻の狩人〉なるダサい愛称まで頂戴する事に。この反響に対して、ブロンソンがどう感じているのか。それがよく解らない。喜んでいるのか?鬱陶しいのか?虚しいのか?物語の後半から、ブロンソンはほとんど喋らず、終始無表情である。故に感情を読み取るのは極めて難しい。案外、彼は人殺し自体に面白味を感じているのかも知れない。

日本でも凶悪事件が頻発している。どれだけ治安を整備しても、全ての犯罪者を廃絶する事はまず不可能である。劇中、ブロンソンの妻を殺した連中が裁かれる事はない。仮に奴らが死刑になろうが、晒し首になろうが、それで殺された者が生き返る訳でもない。犯罪は発生したら終り。人間は殺されたらそこでおしまい。非力な者が自身を防衛する為には、逃げ足を鍛えるか、武装するしかない。我々はそこまで追い詰められているのである。ブロンソンの行為は極端ではあるが「そんなアホな」と笑い飛ばす勇気は俺にはない。

(2003/10/02)

『座頭市』

先週。北野武の最新作『座頭市』を観た。

時代劇ブーム再燃という怪しげな噂をよく耳にする。その割には観るべき作品が何と少ない事か。今年公開された『魔界転生』『あずみ』も酷い出来であった。前者は論外。後者には多少の努力は認められるものの、肝心の剣戟場面に迫力が不足しており「時代劇は終焉した」と改めて思った。

昨年の『たそがれ清兵衛』は丁寧な造りには好感が持てたものの、最後のチャンバラが余りに冗長で今ひとつ乗れなかった。山田洋次こそ「黒澤時代劇の後継者だ」という論調を時折目にするが、果たしてそうなのか。

さて、北野版『座頭市』である。結果から言うと、かなり面白かった。暴力描写には定評のある北野映画。たけしの凶暴性が作品の随所に設けられたチャンバラシーンで炸裂する。浅草の芸人時代に鍛えたというたけしの剣捌きは中々のもの。無敵の暗殺剣が外道を斬り裂く。カツシンのイメージに囚われる事なく、独自の座頭市像を作り上げたたけしの貫禄は流石であった。

座頭市と対立する凄腕浪人(浅野忠信)も随分頑張っていた。浅野の放つ虚無的な雰囲気が役柄に良く合っていた。そして、2人の殺人マシンが居酒屋で擦れ違う場面。

浪人「てめー。ただの按摩じゃねえな…」

座頭市「あんたも血の匂いがするねえ」

まさにお決まりのパターンだが、宿敵同士の初対面はやはりゾクゾクする。

殺戮場面の迫力と能天気なギャグとの調合具合も絶妙。最後の大ダンスシーンも訳がわからないが、それなりに楽しかった。北野映画としては珍しく、終始娯楽に徹した作風である。いつもの「私映画」を期待する向きには不服かも知れないが、俺としてはこちらの方が有り難い。ただ、シンプルな物語にしては、上映時間が長いような気もする。別に退屈はしなかったが、細部を刈り込んで1時間40分程度の長さにすればもっと良かったと思う。もし続篇が作られるのなら、北野監督には、潔い編集をお願いしたいものである。

昨日の朝刊に、この作品がヴェネチア映画祭の監督賞を獲得したという記事が載っていた。国内の初日動員も「人が来ない」北野映画としては最高数を記録しており、たけし最大のヒット作になる可能性もある。このクラスの時代劇が量産されるようになれば、さしもの俺も「時代劇復活」が信じられるのだが…。

(2003/09/08)

『肉体の学校』

今年の2月。杉並区の〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉にて『肉体の学校』(1965年公開)を観た。

原作は三島由紀夫。この映画はソフト化されていないが、海老様や加藤様なら御存知かも知れない。

主人公のデザイナーを岸田今日子が演じている。デビュー以来、多数の映画に出演している岸田だが、その大半が脇役であり、彼女の主演作品と言うだけでも珍しい。

元貴族(!)の岸田は、洋品店を自力で経営しており、カネには余裕がある。無論独身なので煩わしい家族の世話に追い掛け回される事もない。そんな訳で、岸田は悪友達と繁華街に繰り出しては、男漁りに熱中している。

ある日。岸田は「面白い実験」を思いつく。猛々しい若い男との同棲生活をしてみようというのだ。それは、そろそろ美貌に翳りが見え始めた自分に対する挑戦でもあった。その標的となるのが山崎努である。山崎は目的の為には「誰とでも寝る」という自由奔放な男であり、そんな彼を「飼育」出来るかどうか…岸田の実験が開始される。

監督の木下亮は岸田の妖しげな魅力を的確に捉えている。モノクロ映像の世界で、くねくねと暗躍する岸田。妖艶な美女に見える時もあれば、とんでもない醜女に見える時もあり、極めて幻惑的だ。

相手役の山崎もふてぶてしい演技を披露しており、その後の活躍を予感させるものがある。この時点で、山崎は『天国と地獄』『赤ひげ』と「黒澤体験」を通過しており、本人も俳優としての自信が芽生えてきた頃ではなかろうか。そんな岸田&山崎の頽廃コンビの虚々実々のやり取りが実に面白い。

物語終盤、山崎に裏切られた岸田が放つ反撃が強烈である。彼女の実験は結局失敗に終った訳だが、山崎を敗北に追い込んだその表情は喜悦に満ちていた。

原作の評価が高いのかどうかは俺には判らないが、映画版は脚本も映像も秀逸な出来。38年前の映画とは思えない不思議な味わいを有する作品であった。このような隠れた名作を掘り起こしてくれる〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉は、俺のような人間には誠に有り難い存在である。関東在住の方には、是非足を運んで戴きたい劇場のひとつだ。

(2003/09/01)

『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

先日、衛星放送で『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(1998年公開)を観た。ドイツ製のアクション映画である。

以前から、伊吹三郎氏に「面白いぞ」と薦められていた作品であり、今回ようやく捉まえる事が出来た。

物語は至極簡単である。病室で一緒になった脳腫瘍の男と末期癌の男が、突然「死ぬ前に海を見ようぜ」と思い立つ。2人は病院の駐車場に停めてあった高級車を奪い、人生最後の旅に出る。その車の所有者は地元ヤクザであり、2人はヤクザと警察両方に追跡されるハメになるが…。

道中、彼らは強盗&豪遊を繰り返す。この辺り、陰惨な印象は希薄で、むしろユーモラスな雰囲気である。重病人がこれほど元気に走り回れるとは思えないが、一種のファンタジーと考えれば問題ない。

多少の御都合主義は否めないが、余計な描写はことごとく省略されているので、テンポは終始快調。終幕まで退屈せずに観られる。手抜きのない重厚な映像も好感が持てた。映画の冒頭、主人公達が病院の厨房に潜り込み、塩を舐め、レモンを齧りながらテキーラを呑むシーンがとても良い。

主人公2人は陽気で破天荒な性格に見えるが、意外に真面目な面を有している。警察の追求が迫っているのにも関わらず、わざわざ母親にプレゼントを届ける辺りは予想外の展開であった。全体的にアメリカのアクション映画の影響が濃厚だが、味つけはドイツ流と言う訳か。

資料によると、ドイツでは90年代半ばから、娯楽映画にも助成金が降りるようになったらしい。お上の助けをアテにするのは少々戴けないが、映画にはとにかくカネがかかる。そういう制度はどんどん利用して、面白い作品を量産して欲しいものである。

★監督…トーマス・ヤン/出演…ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ティエリー・ファン・ベルフェーケ他

(2003/08/31)

ラストシーン

★私もこの作品は好きです。洒脱なところがいいですね。粋と申しましょうか。全体的な雰囲気がいいですね。

御指摘の通り、洒落た映画だなとは俺も感じました。ただ登場人物が完全にハジけていないなという印象も同時に受けました。何処かハメを外すのを照れているようないないような。俺の筆力では巧く言えないのですが。それは決して不快ではなく、むしろこの映画独特の味わいに繋がっていました。大騒ぎの末、主人公2人が辿り着いた金属色の海。複雑にうねる波の様子を捉えた映像がとても綺麗でした。

しみじい様御推薦の『ビヨンド・ザ・サイレンス』も何かの機会に観てみたいと思います。

(2003/09/03)

『トム・ソーヤの大冒険』

先日、衛星放送で『トム・ソーヤの大冒険』(1995年公開・アメリカ映画)を観た。

最初は「どーせ、ディズニー印のジャリ向け映画だろっ」とバカにしていたのだが、これが中々に侮れない出来。餓鬼どもを飽きさせない為の配慮であろう。物語は横道に逸れる事を極力避けて、見せ場見せ場の連続で観る者をグイグイと引っ張ってゆく。多少説明不足の感は否めないが、その辺りは原作を読めという事か。説明よりも、スピードを重視した造りは正解だと思った。随所に照れ臭い台詞が登場するものの『バトル・ロワイアルU』程のクドさはない。

俺の年代だと、どうしてもTVアニメ版のイメージが強いが、この映画では主役2人に美形俳優を起用している。資料によると、主演のジョナサン・テーラー・トーマス(トム・ソーヤ)&ブラッド・レンフロ(ハック)はアメリカでかなりの人気を誇っているそうである。この作品は二大スター子役の夢の共演という訳である。

彼らの前に立ちはだかる悪役ジョーが印象強烈だ。正体不明の巨漢にして、性格極めて残忍。見かけによらず知恵も回るし、町一番のナイフ使いときている。如何にトムとハックが野性味溢れる快男児とは言え、子供は子供。餓鬼には恐るべき強敵と言える。

ジョーに殺人の濡れ衣を着せられた酔っ払いオヤジを救うべく、トム&ハックは悪戦苦闘を展開。手強い相手に万策尽き果てたトムは、正々堂々、法廷にて狡猾な殺人鬼と対決する。この時のジョーの迫力が凄い。自分の悪行をバラしたトム目掛けて神速のナイフを放つ。この奇襲攻撃を、トムは六法全書(?)を盾にして、辛くも回避に成功する。うおおおおおおお。餓鬼を殺し損ねたジョーは絶叫を迸らせながら、町民どもを強引に蹴散らして大跳躍。がっしゃーん。飛び散る硝子片。かの大男は、体当りで窓をブチ破り見事逃げ延びてしまう。まさにヤマ場。息をもつかせぬ活劇場面であった。

『トム・ソーヤの大冒険』は映像も全体的に品が良く、主人公達が住む田舎町の風景が実に心地好い。正攻法で撮り上げた映画の強さ面白さを濃厚に感じさせる作品であった。単に観難いだけの自称実験映画、難解なフリをしているだけで、少しも盛り上がらない偽サスペンス、スケールの小さい主役と頭の悪い敵役が小競り合いを繰り返すだけのZ級アクション等々…つまらない「大人の映画」を吹き飛ばす魅力を、この「お子様ランチ」は充分に秘めている。映画というものは、実際に観てみないとその真価は解らないものだと、改めて思った。

★監督…ピーター・ヒューイット/出演…ジョナサン・テーラー・トーマス、ブラッド・レンフロ他

(2003/08/26)

『ルパン三世・お宝返却大作戦!!』

先日、TVスペシャル第15弾『ルパン三世・お宝返却大作戦!!』を観た。このスペシャルには大概失望させられているが、今回はまずまずの出来。悪役の個性が相変わらず弱いものの、物語自体は様々な工夫が施してあり、それなりに面白かった。大往生した商売敵が遺した願いを叶える為、ルパンが一肌脱ぐという一寸良い話。

ルパンを筆頭にレギュラーメンバーが、お馴染みのテーマソングに乗って活躍する光景はやはり楽しい。ワンパターンだからこそ味わえる爽快感とでも言うべきか。ただ、彼らが死ぬ事は絶対にないので、作品の緊張感を保つのは至難の業である。ルパンにせよ、次元にせよ、不二子にせよ、妙に上品なのが物足りない。今の時代にアウトローが流行らないのは承知しているが…。昔の『ルパン』はギラギラとした物騒な魅力を放っており、それが堪らなく好きだった。

今回も世界各国を飛び回るルパンだが、たまには物語の舞台を限定してみるのも面白いのではないだろうか。例えば「架空の街」を深く濃く描いてみるのも悪くないのではなかろうか。登場キャラクターもギリギリまで絞り、その分、緻密な人物描写を試みるとか。料理の仕方によっては、まだまだ『ルパン』も美味しい素材だと思う。万人向けを狙うTVスペシャルでは難しいのかも知れないが、ヒネくれたファンが喜ぶような実験精神溢れる異色作を観せて欲しいものである。

(2003/08/18)

悪役は活劇の華

★宝を返すという逆転発想が楽しかったです。ハイ。

★今回もラスト、なんでこうなるかな的決着で、まとめようという意識が丸見え。

★ルパンはアンバランスが売りなんだと思うんだけどなぁ。

ふむふむ。さが様も点が辛いですね。流石です。

長尺のTVスペシャルは余程アイディアを練らないと、途中でダレてしまいますよね。その点、今回の『お宝返却大作戦』は健闘したと思います。ただ敵役がねえ…狭量な露西亜ヤクザと意外にお喋りな女暗殺者では、ルパンチームの個性に対抗するのは一寸しんどい。

毎回「アクの強い好敵手の出現」を期待するのですが、裏切られてばっかり。ついついマモー大先生やカリオストロ伯爵クラスを望んでしまう俺が悪いのでしょうか?悪役がセコいと物語が弾けません。つまらん新作を観せるぐらいなら、昔の名作エピソードを再放送してくれやと絶叫したくなります。その方が予算も助かるだろうし。

新作を観る度に感じるのですが、スタッフの遊び心が希薄なのが気になります。第1シリーズにせよ、第2シリーズにせよ、今観ても充分面白い破天荒なエピソードが多かったように思います。シリーズものはどれだけ従来のパターンが崩せるかが勝負。賛否両論が巻き起こるぐらいの異色作が出現してくれると有り難いのですが…。ないもの強請りかな。

それにしても、小林氏と増山氏の声は変わらないですね。両氏の健在振りは嬉しい限りです。

(2003/08/20)

『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』

先日、衛星放送で『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956年公開・アメリカ映画)を観た。まさにタイトル通りの解り易い内容。空飛ぶ円盤を駆る侵略者と人類との死闘が展開する訳だが、肝心のUFO&宇宙人が迫力不足で、むしろユーモラスである。侵略方法もかなり荒っぽく「俺らはとっても強いから、闘わずに降伏しろ」てな感じ。低予算の為だろうか。見せ場となる破壊場面や戦闘場面は最小限に抑えられており、何やら哀れさすら漂う。

主人公の科学者が開発した対UFO兵器『磁力砲』も名前だけはものものしいが、デザインはゲロゲロ。こんなものに全人類の命運が託されるとは余り考えたくない。但し、この新兵器は威力抜群だから侮れない。超高速で移動しているUFOを撃墜出来るのだから大したものだ。かの主人公はきっと天才だろう。

現在では、SF映画は映画の主流のひとつとして認知されている。だが『空飛ぶ円盤地球を襲撃す』が作られた頃は、極めてマイナーな分野であった。この映画も稚拙な描写や映像が目立つが、厳しい製作状況を考えると、かなり頑張った方と言えるのかも知れない。

SF映画の位置付けを劇的に変化させた『2001年宇宙の旅』の登場は、この作品公開の12年後である。

★監督…フレッド・F・シアーズ/出演…ヒュー・マーロウ、モリス・アンクラム、ジョーン・テーラー他

(2003/08/18)

『銀嶺の果て』

先日、谷口千吉(黒澤明の助監督時代の同僚)の『銀嶺の果て』(1947年公開)を観た。主演はこれがデビュー作となる三船敏郎。脚本を黒澤が手掛けており、音楽は『ゴジラ』の伊福部昭が務めるという豪華な布陣である。

「ホン(脚本)が書けなきゃ、映画監督じゃねえ」というのが黒澤の持論だが、この作品も隙のない見事な出来である。この脚本を、黒澤は谷口と組んで20日間で書き上げたそうである。妙な寄り道をせずに物語がガンガン進んでゆくのが気持ち良い。

三人組の銀行強盗(三船、志村喬、小杉義男)が、官憲の追求をかわす為に、冬の北アルプスに逃げ込む。途中、追跡者との銃撃戦となり、その弾みで発生した雪崩により、小杉が圧死する。リーダー格の志村は責任を感じるが、三船は知らん顔。仲間の死を哀しむどころか「勿体ない事したぜ」と、雪の中に消えた強奪金の一部を惜しがる有様だ。

この作品で、三船は同情の余地なしの極悪人に扮している。お世辞にも巧い演技とは言えないが、ギラギラした野獣のような凄味は流石であった。三船は東宝の入社試験の際、審査員の1人に「演じてみたい役は?」と聞かれて「ギャングです」と即答したそうな。この映画で、その希望は早速叶えられた事になる。

クライマックスの登山場面が素晴らしい。全篇ロケーションだが、機材も装備も不充分な時の映像だけに尚更迫力がある。この頃の映画は役者もスタッフも体を張っていた。山頂で繰り広げられる三船vs志村の一騎討ちも見物だ。この2人が黒澤映画の黄金期を支える原動力となったのは言うまでもない。

黒澤の骨太脚本と谷口の活劇演出が合致した、山岳アクションの好篇である。

(2003/08/16)

『ノストラダムスの大予言』

★私は小學生のときに場末の小さな映畫館で觀た記憶があります。

★子供がピョーンと高く跳ぶところと、丹波哲郎がスキヤキを喰ひながら何か説教をしてゐるところくらゐです。

そうですか。加藤様は『ノストラダムスの大予言』を劇場で御覧になりましたか。羨ましい限りです。御記憶の2場面は、間違いなくこの映画のものです。特にスキヤキのシーンは印象的ですね。一升瓶を携えた丹波哲郎が、愛娘(由美かおる)&その恋人(黒沢年男)に向って「時に…済んだのか?」と、真顔で尋ねる辺りは猛烈に可笑しいですね。

この映画の半分くらいは、丹波博士の説教と言っても過言ではないでしょう。丹波の台詞の中には「人類が生き延びる為には多少の犠牲は已む得ない」等、選民思想のようなものが見え隠れしており、胡散臭さ満点です。

映画のラスト、丹波の説教がやっと終ったかと思ったら、今度は総理大臣(山村聡)の大演説が始まります。この作品は、日本映画史上稀に見る「説教映画」ではないでしょうか。

現在『ノストラダムスの大予言』は海賊版や海外版がネットオークション等で出回っております。マメにチェックをすれば入手は可能だと思います。でも、出来る事なら、映画館の大画面にて、丹波の異常演技&当時最高の特撮映像の数々を堪能したいものです。

(2003/08/05)

由美かおる

★やつぱり由美かおるでしたか。由美かおるではないかと思つたのですがね。黒沢年男は忘却の彼方ですが。

黒沢年男は一応準主役の筈なのですが、ほとんど活躍しません。丹波博士の熱弁に「はあ。そうですか」と相槌を打つのが精一杯。お忘れになったとしても無理はありません。由美かおるがTV版『日本沈没』のヒロインを演じていたとは知りませんでした。では『ノストラダムスの大予言』への出演はその流れかな…。

丹波最愛の娘にして、ダンス講師の由美かおるの気品と美しさは、異常にアクの強いこの映画に潤いを与えております。恋人同様、由美にも見せ場らしい見せ場はありませんが、自分の中に新しい生命が宿った事に感激。突如、砂丘の上で踊り狂う場面はかなり痛烈でした。黒沢茫然。

(2003/08/06)

『黒い十人の女』

先日、市川崑の『黒い十人の女』(1961年公開)を観た。

何年か前、リバイバル上映されて話題を呼んだ作品である。

物語の舞台は当時最先端のTV局。プロデューサーの風松吉(船越英二)は社内外に9人の愛人を持つという大層なモテ振り。その愛人達を、岸恵子、中村玉緒、岸田今日子…と言った錚々たる顔触れ(皆若い!)が演じている。優柔不断だが何処となく憎めない風に翻弄される美女達。そろそろ腐れ縁を断ち切りたいと考えている彼女達にある計画が浮かび上がる。いっそ、風を殺してしまえばスッキリするのではないだろうか…?

肌理細かいモノクロ映像が美しい。クライマックスの一部を導入部で披露したり、幽霊(愛人の1人)を登場させて、狂言回しを演じさせたりと、脚本も実に凝っている。船越演じる風の飄々たるキャラクターも面白いが、彼を取り巻く美女連の大半が悪女というのも新鮮である。市川は妙な感情移入を避け、徹頭徹尾クールな演出を貫いている。

 若き伊丹十三がアガリ症のアナウンサー役で出演している。ワンシーンのみの端役に過ぎないものの、彼特有のとぼけた雰囲気が捨て難い。俺などは伊丹と言うと映画監督のイメージが強いが、彼の本領は、やはり俳優業にあったのではないかと最近思い始めている。スターの座に躍り出た頃のクレイジー・キャッツの特別出演も楽しい。

風が「生きながらにして殺される」ラストも痛烈。多種多彩な市川映画の中でも、一際異彩を放つ怪作である。

(2003/08/04)

『暴走パニック・大激突』

先日、深夜放送で深作欣二の『暴走パニック・大激突』(1976年公開)を掴まえた。

問答無用の娯楽活劇である。代表作『仁義なき戦い』を筆頭に、深作が最も脂の乗っていた時期の作品である。主役は勿論犯罪者。脇役陣も大部分の奴が欲望に飢えた野獣であり、悪党vs悪党の血みどろの死闘が繰り広げられる。

渡瀬恒彦&小林稔待は、銀行強盗のプロフェッショナルコンビだ。渡瀬と稔待は、中部から近畿まで、神出鬼没の大活躍で世間のド肝を抜く。しかし、順調そのものだった彼らの計画に狂いが生じてしまう。ががががが。うぎゃー。日本における「最後の仕事」の逃走中、稔待がトラックにブチブチと踏み潰されて死亡。渡瀬は辛くも警察の追及を逃れるが…。

渡瀬を除くと、スター俳優が出演していないのもこの映画の特徴であろう。それを補うかのように、川谷拓三、室田日出男、三谷昇、曽根晴美等々…深作映画常連の曲者俳優が多数参加している。低い予算と限られた戦力を使って、面白い映画を仕上げる事も監督の力量である。曲者軍団も監督の期待に応えて「俺に任せろ!」と言わんばかりの怪演・熱演を披露してくれる。渡瀬を一途に慕う杉本美樹(盗癖有り)も泣かせる。

映画のクライマックスは猛烈なカーチェイス。逃げる渡瀬&杉本を川谷(不良警官)と室田(稔待の兄貴)が執拗に追跡する。これに、気の狂った一般人やら暴走族やら「MHK」の取材車両やらが加わって、大変な騒ぎに。この辺りの収拾のつかない混乱振りは、如何にも深作映画らしく、大いに楽しんだ。

幾つか不満もあるが、脚本の弱点を強引に捻じ伏せてしまう深作パワーを堪能出来る一品であった。

(2003/08/02)

『マーサの幸せレシピ』

先日。久し振りに〈彦根シネマクラブ〉の例会に出席した。

今回の演目は『マーサの幸せレシピ』(ドイツ映画・2001年公開)であった。

アジア映画とも馴染みの薄い俺だが、ドイツ映画もこれまた未知の世界である。

物語の舞台は港町ハンブルクである。主人公のマーサは、人気レストランに勤める一流の料理人。自分の腕に絶対の自信があるだけに、味覚オンチのダサい客を見逃す事が出来ない。喧嘩沙汰を引き起こす事もしばしばである。店のオーナーに「いい加減にしてくれ」と半ば懇願されるが、マーサにはその指示に従う気は全くない。

ハンブルクの街並みやマーサの働く厨房を捉えた落ち着いた映像が良い。特に調理場面は気合が入っており、一体何の料理なのか皆目判らない俺にすら、とても旨そうに見えた。登場人物達も旺盛な食欲を発揮している。それを眺めている内に、俺にも食わせろと絶叫したくなった。

災いは突然やって来る。マーサの姉が交通事故で即死。やむなく、その娘であるリナを預かる事になるのだが、母親を亡くしたショックの為なのかどうか、リナは一切の食事をとらなくなる。自ら心を閉ざしてしまった8歳の姪に、何とか飯を食わせようと奮闘する凄腕シェフだったが…。

派手な見せ場がある訳でもなく、劇的な展開が用意されている訳でもないが、丁寧に作られた映画である事は確かであった。俳優陣の控えめな演技も良いし、無意味なギャグが挿入されないのも好印象。カネがなくても、精緻な脚本と巧い俳優を集めれば、面白い映画が作れるという好例であろう。

ただひとつ異様に感じたのは、物語後半の、叱責されたマーサがオーナーに逆ギレする所。かのオーナーはそう無茶な要求はしていないように思われるのだが「やってらんねえよ」てな感じで、マーサはエプロンを脱ぎ捨て、職場を放棄してしまうのである。そんなに怒らなくても…と驚いた観客も結構いたのではなかろうか。

劇中、マーサが心療内科で治療を受ける場面が幾度か登場する。マーサの言によれば「店のオーナーの勧め」を受けての通院だという。どうやら、オーナーはマーサのキレ易い性格を早くから見抜いていたらしい。折角の慧眼もマーサの猛々しい気性の前には、役に立たなかったようだが。

元来、俺は異色作・怪作の類を好む。とは言え、たまにはこういう味の映画も悪くない。

(2003/07/30)

『眠らない街・新宿鮫』

★あの地域を魅力的に撮つた現代映画は寡聞にして知りませんが。

余り好きな映画ではありませんが…滝田洋二郎の『眠らない街・新宿鮫』(1993年公開)は、新宿オール・ロケに挑んだ意欲作です。主演の〈新宿鮫〉真田広之が力み過ぎで、一寸興醒めしました。師匠の真似をしろとは言いませんが『ドーベルマン刑事』における千葉真一の弾け振りを少しは見習って欲しかったですね。むしろ、敵役に扮した奥田瑛二の無気味な存在感が印象的です。奥田扮する木津(男色)は改造銃造りの名人。主人公を監禁して、ネチネチと拷問する辺りは相当狂っていました。

今をときめく浅野忠信が木津の「作品」で悪さを働く気弱な男(引きこもり?)の役で出演しています。浅野ファンなら観ておいて損はないでしょう。アクの強い男どもが幅を利かせる映画ですが、その分、ヒロインの田中美奈子(演技力は期待出来ず)が清涼剤の役割を果たしていました。

(2003/07/24)

フランス語を喋るヒロスエ

◆「東京攻略」という香港映画などは、いい味出していました。

◆「WASABI」では新宿といいながら、実は秋葉原というトリッキーな嘘をついていて、それはそれで納得しました。

『東京攻略』は残念ながら未見です。阿部寛(刀が好き)が悪役に扮した作品ですよね?

『WASABI』はラスト十数分を観た記憶があります。場所は岐阜の山奥にあるシネコン。目当ての映画を観終わった俺は、暇潰しに『WASABI』の劇場に潜り込みました(違反行為)。

広末涼子が堂々とフランス語を喋っているので驚きました。最初は「どーせ吹き替えだろ」とバカにしていましたが、あれは広末自身の声であり、彼女の猛特訓の成果である事を知り、一寸感動しました。映画の出来について、全篇を観た友人〈アウトサイダー〉に尋ねてみると「うーん」と困った表情で唸っていました。

(2003/07/26)

ロケーション

★歌舞伎町が撮れるとすれば、恐らくアジアの監督でせうね。

ロケーションというのは、役者の演技が追及出来ないので、嫌がる監督が少なくありません。実際の歌舞伎町を綿密に撮ったとしても、この街が内包する禍々しさや生々しさが画面に出るとは限りません。それが映画の摩訶不思議な所のひとつだと思います。

今年の「私的ベスト1」と絶叫した『バトル・ロワイアルU』に、アフガニスタンの映像が登場するのですが、他の場面と調和しているとは言えず、一寸「浮いて」見えました。あの部分をバッサリ切り落としたとしても、映画は充分成立します。虚構世界に現実の映像を持ち込むのは難しいなあと改めて痛感しました。

(2003/07/26)

眠れる獅子

久し振りに地元の映画館に行ったら、ガラガラだった。受付にて『マトリックス リローデッド』のチケットを求める。レイトショー、特別料金1300円也。高え。

かの人気作『マトリックス』の続篇だが、田舎の反応は今ひとつのようである。前の回の客は、暇そうな(人の事は言えないが)餓鬼どもと水商売風の女2人。餓鬼達は口々に「なんか、よーわからんわあ」とデカい声で感想を述べていた。

聞く所によれば『マトリックス』は三部作になるそうである。今夜の『リローデッド』は、第1作と最終作を繋ぐ「橋」の役割を担う訳である。これが粗雑だと、最終作どころかシリーズ全体が崩壊する危険性がある。作り手はその辺りをどう考えていたのかは、俺などには知る術もない。

映画を観終わって、俺も「なんか、よーわからんわあ」と叫びたくなった。

決してつまらない作品ではないと思うが、如何せん台詞がクド過ぎた。登場人物の多くが、何やら哲学めいた事を延々と喋っており、俺の知能ではとてもついていけない。ふと「当たり前の事を、わざと回りくどく、小難しく言ってるだけじゃねーのか?」という邪念が芽生えるが…これは頭の悪い奴の僻みでしょう。多分。

キアヌ・リーブス扮する主人公ネオ。劇中、何度か彼の為の見せ場が用意されているが、全体的にアクションの切れが鈍く、不完全燃焼の観が強い。この方は人類最後の希望であり、救世主の筈なのだが、一体いつお目覚めになるのだろうか?そろそろ「覚醒」しないと、映画が終ってしまうぜ。

主人公が駄目なら、宿敵たるスミスも迫力に欠ける。今回、自己増殖能力を会得したまでは良かったが、それを戦術に生かす気はないらしい。戦闘前に訳のわからん事を喋る時間があったら、奇襲でも闇討ちでも仕掛けろやと、段々腹が立ってきた。スミス先生。本当にしっかりしてくれ。物語が盛り上がるかどうかは、あんたの頑張り次第なんだから。

…と、幾つか不満はあるものの、本作最大の山場たるハイウェイアクションはそれらを一気に吹き飛ばす面白さ。終始顔色の悪いヒーロー&ヒロインを差し置いて、モーフィアス御大が日本刀片手に暴れまくる。特にしつこい追跡者を車ごとぶった斬る場面は、馬鹿馬鹿しいけど爽快だ。こういうのを俺は待っていた。せっかく仮想空間という魅力的舞台を設定しているのだから、通常の活劇映画では出来ない事をやらなくては意味がない。

さて、気になるのは完結篇の内容。恐らく「あっ」と驚く仕掛けや展開が組み込まれているのだと思うが、広げた風呂敷はきちんと畳んで戴きたい。前世紀後半辺りから「畳まない」作品がやたらに増えてきたが、第3作『レボリューションズ』はどうなるだろうか?

ラストに四畳半か精神病院で目を覚ましたキアヌ・リーブスが「長い夢を見ていたような気がする」などと呟いて終幕…そういうのだけはやめて欲しい。

(2003/07/16)

観客を選ぶ映画

◆この作品シリーズは本来はそんなに大勢の観客に受け入れられるようなものではないと思います。

◆ついてこれないやつはこなくて結構という潔さも感じます。

◆コンピューター業界の人間は、登場人物の意味がわかりやすいというのは言えるのではないでしょうか。

早速の御意見、恐れ入ります。しみじい様の解説のお陰で、おぼろげながら『マトリックス』という作品が見えてきました。確かに「観る者を選ぶ映画」というのは存在します。このシリーズもその種の作品だとすると…どうやら俺は「映画に選ばれなかった」クチらしいですね。パート1の方は解らないなりに結構楽しめたのですが。繰り返し観れば、いかな俺でも少しは理解も深まるのではないかとも思います。しかし、そこまでの魅力を『リローテッド』という作品に感じていない(感じられない)というのが正直な気持ちです。

それにしても、しみじい様の映画の観方は懐が広いですね。邦画も洋画もお詳しいのは心強い限り。もし直接お会いする事が出来たなら、その際は色々と映画についての教えを乞いたいと思います。

(2003/07/17)

『リローデッド』の評価

老舗映画誌『キネマ旬報』には「REVIEW 2003」という新作映画の寸評コーナーがある。短い文章の中に的確な分析と評価が込められており、新作鑑賞の参考になる。どちらかと言えば、観る前よりも鑑賞後に読んだ方が楽しいコーナーである。かの『マトリックス リローデッド』は4名の辛口評者の内、2名が★★★★(満点)をつけている。かなりの名作という判定である。

無頼系映画誌『映画秘宝』でも『マトリックス』シリーズを大きく採り上げていた。最新号では、名物連載の一「裁くのは俺たちだ!」に『リローデッド』が登場。ウェイン町山&ガース柳下の最凶コンビが『リローデッド』を痛烈に批判している。尤も、この2人が大作映画を誉める事は滅多にない。むしろ、彼らの歯に衣着せぬ毒舌振りがこの連載のウリである。今回も言いたい放題の大暴れ。上品とは言いかねる内容なので、真面目な『マトリックス』ファンには、少々刺激が強過ぎるかも知れない。

(2003/07/19)

『バトル・ロワイアルU[鎮魂歌]』

平日のレイトショー。ヤンキーだらけの劇場で深作欣二&深作健太の『バトル・ロワイアルU[鎮魂歌]』を観た。

志半ばで倒れた深作欣二の跡を継いだのは、息子の健太だった。はっきり言って何の期待もしていなかったが、予想外の手腕を見せてくれた。新人監督とは思えぬ手際の良さには正直驚いた。気恥ずかしい台詞の連発(脚本も健太)には少々閉口したが。

前作で、地獄のサバイバルゲームを辛くも生き延びた七原秋也。

七原の壮絶なる「その後」が今回のテーマである。

殺し合いを否定し続けていた少年は、一転して、世界中の国家権力を敵に回すテロ集団の首領へと大変身。近年稀に見る血腥いヒーローの誕生である。七原は、虫ケラのように殺された仲間達の無念怨念を背負って、日夜絶望的な闘いを繰り広げる。

これを演じる藤原竜也が良い。戦闘のプロとしての凄味と殺人者の苦悩。これを同時に感じさせるのだから大したものだ。演技的にはやや頼りない部分もあるが、将来バケるかも知れない。東映は、彼を天草四郎に抜擢して『魔界転生』を再度作り直すべきだと思った。汚名挽回のチャンス。

七原の師匠格を演じているのが、深作欣二の盟友たる千葉真一(当然ゲリラ)というのが面白い。出演時間は数分に満たないものの、主人公に愛用の名銃AK47を託すシーンに涙。長年、深作映画を支え続けてきた千葉。まさに彼以外には有り得ないという粋な配役であった。

千葉の他にも、ビートたけし、三田佳子、津川雅彦と言ったアクの強いベテラン勢が参戦している。いずれもピンポイント出演ではあるが、各自の個性が発揮されていて見応えがあった。彼らは千葉とは違って「子供とどう接して良いのかわからない」オトナ達である。特に三田は私生活と重なるような役柄を敢えて演じており、奇妙なリアリティがあった。

Vシネマの帝王・竹内力が二代目ゲームマスターを演じている。物語の肝となる重要な役なので、さしもの歴戦の猛者も緊張していたようだ。前半のたけし風(?)演技には一寸違和感を覚えたが、中盤以降は彼独自の魅力がかなり出ていたと思う。竹内の野性味と深作ワールドの相性は決して悪くない。

毒にも薬にもならない映画が氾濫する中、テロリストを主役に据えた作品を堂々と全国公開してしまう東映の心意気が嬉しい。以前、高坂様にも御指摘を戴いたが、今や日本の有名映画会社の内「映画」を作っているのは東映だけかも知れない。この調子で、これからも意欲作・異色作を発表して貰いたいものである。

『バトル・ロワイアルU[鎮魂歌]』。2003年度の私的ベスト1はこれに決まった。

(2003/07/14)

艦砲射撃

◆この作品、アメリカ批判みたいのがあると思いますが、今年のテーマはこれなんかなあと思いました。

そのようですね。思想的な事はよく解りませんが…少年の頃、深作欣二は、米軍の艦砲射撃によって、大勢の知り合いをバラバラに吹き飛ばされた経験があるそうです。深作の映画作りの原点はそこにあるという噂です。今回の作品にも深作一流の叫びと言うか慟哭と言うか、強者に踏みにじられる側の怒りが感じられました。

俺は未見なのですが『スパイ・ゾルゲ』良かったですか?どうも、俺が「駄目や」と思う映画は「面白い」という法則があるようです。

(2003/07/15)

『赤穂城断絶』

先々月。都内〈三百人劇場〉にて、深作欣二の『赤穂城断絶』を観た。1978年公開の映画である。

同年1月公開の『柳生一族の陰謀』のヒットに気を良くした東映が放った―2匹目の泥鰌狙いの?―大型時代劇。タイトルを見れば判るが、テーマは時代劇の定番『忠臣蔵』である。キャストは『柳生一族』の面々が固めており、主演は当然ながら錦之助御大が務めている。

俺としては御大の怪物演技に期待したが、前作の発狂剣士・柳生宗矩に比べると、今回の大石内蔵助はキ××イ度が足りず不満を覚えた。映画としても全体的にパワー不足。深作映画最大の特徴とも言える破天荒さが余り見られず「普通の忠臣蔵映画」になってしまっている。当初、深作は大石役に金子信雄の起用(!)を考えていたそうだが、その刺激的アイディアは結局通らなかった。その時点で監督は意欲を喪失したのかも知れない。

そんな中、我らが千葉師匠(不破数右衛門)だけは異常に元気であった。劇中、烈しいアクションの大半を師匠がこなしている。雨の夜。大石邸に奇襲を仕掛けてきた刺客を嬉々として迎撃する師匠。抜群の運動神経を誇る師匠は剣戟でも実に魅せてくれる。当の大石先生は「見ているだけ」の省エネ演技に徹しているのが一寸気になったが。

そして、吉良屋敷討ち入り。先陣を切るのは無論師匠だ。大太刀を縦横に振るいながら、上野介護衛団を手当たり次第に斬り伏せてゆく。師匠に対抗可能な者はこの屋敷にはいないのか?いや…いた。吉良側最強の遣い手たる渡瀬恒彦(小林平八郎)の登場である。活劇に関しては、自信満々の両雄である。千葉vs渡瀬の激突は見応え充分であった。斬り合いと言うよりも殺し合いと言うべきか。狭く薄暗い室内における血みどろの闘い。手持ちカメラの荒々しい映像。かの『たそがれ清衛兵』のクライマックスもこれぐらいの迫力が欲しかったなあ。

部分的には面白い場面もあるが、これだけスピード感に欠ける深作映画も珍しい。巧く表現出来ないが…深作組の常連俳優を「別の監督」が演出したような印象を受けた。摩訶不思議な映画である。

(2003/07/06)

『忠臣蔵外伝・四谷怪談』

最近発売された深作映画の研究本「映画監督・深作欣二の軌跡」によると…監督は大石内蔵助を英雄としてではなく「臆病な普通のオヤジ」として描きたかったようです。となると、金子信雄の配役は必定と言えるでしょう。正統派時代劇の直系たる錦之助御大が、情けないオヤジなど演じられる筈もありません。御大は、監督の意図を完全無視して、自分の理想とする内蔵助の表現に全力を注いでいます。この映画の中途半端な印象は、その辺が原因とする説が有力です。

後年、深作は『赤穂城断絶』の復讐戦を果たします。それが『忠臣蔵外伝・四谷怪談』(1994年公開)です。この映画に登場する内蔵助こそ、深作のイメージに忠実な人物。津川雅彦が飄々と演じています。

(2003/07/07)

斬る佐藤、踊る津川

『忠臣蔵外伝・四谷怪談」は最後まで退屈せずに楽しめる作品だと思います。肝心の討ち入りシーンがしょぼいのが難点ですが、赤穂浪士の焦燥感、イライラは充分に描き込まれています。血塗られた運命を辿る主人公・伊右衛門(佐藤浩市)はアウトロー臭さ満点。自分が生き抜く為には辻斬りや強盗さえもやってのけます。どん底生活を強いられる浪士達とは対照的な津川内蔵助の遊びっぷりが最高。これには、腹が立つやら、笑えるやら。登場人物の面白さで観客を引っ張るタイプの映画です。これぞ深作流。監督も会心作とは言えないものの『赤穂城断絶』の鬱憤はかなり晴らせたのではないでしょうか?

(2003/07/09)

『GONIN』

先日。深夜放送で監督・脚本石井隆の『GONIN』(1995年公開)を観た。

物語はシンプル。人生の歯車が狂った5人の男達が、ヤケクソ気味に暴力団事務所を襲撃。まんまと大金をせしめるものの、ヤクザの強烈な反撃に見舞われて全滅する。ただそれだけである。

キャストは豪華である。佐藤浩市、本木雅弘、根津甚八、椎名桔平、竹中直人…彼らが主役の五人組を演じている。本木、根津、椎名、竹中の4人は個性を発揮出来ぬままに終ってしまった。佐藤のみが良い。元演歌歌手の主人公を不貞腐れた表情で好演している。この男、とにかく殴られる。ヤクザに蹴られ、刑事崩れに半殺しにされ、指を詰められ、最後は便所で蜂の巣にされる。これだけボコボコにやられまくるのは、佐藤の長い役者人生の中でも初めての経験ではないだろうか。

素人に面子を潰された暗黒組織の復讐が始まる。五人組の皆殺しを狙う本部から派遣されてきた殺人マシーン2人。ビートたけし&木村一八という絶対に敵に回したくない凶暴コンビの登場だ。相変わらず、たけしはこの種の役がハマる。ニヤニヤと得体の知れぬ笑みを浮かべながら、ターゲットを追跡する姿は鬼気迫るものがある。

この映画、中盤辺りまではサクサクとテンポ良く進んだのだが、後半はクドさが目立った。発狂寸前の本木が、訳のわからん事を呟きながら港を彷徨うシーンなども不要に思えた。土砂降りの中での決戦場面も一寸白々しい雰囲気。忙しい役者が多いので、リハーサルが充分に出来なかったのかな?そんな印象を受けてしまう。面白い部分とつまらない箇所の差が激しい映画であった。惜しい。

(2003/05/08)

『子連れ殺人拳』

先月下旬。都内〈自由が丘武蔵野館〉にて、千葉真一主演・山口和彦監督作品『子連れ殺人拳』(1976年公開)を観た。ビデオ化もDVD化もされていない貴重な1本である。

空きっ腹の千葉師匠(空手の達人)がふらりと訪れた田舎町。そこでは、推定価格10億円の麻薬の行方を巡って、ヤクザとヤクザが血みどろの抗争を繰り広げていた。千葉は劣勢勢力の方に助っ人として自分を売り込む。そんな千葉の前に、子連れの剣術遣い(夏八木勲)が姿を現す。互いの実力を見抜いた両者は、近い内に雌雄を決する時が来る事を予感するのであった…。

かの『用心棒』を連想させるシチュエーションだが、千葉の最終目的は暗黒組織の相殺ではなく、当然麻薬ゲットである。映画の中盤、隠れ家の庭先で日本刀をびゅんびゅん振り回し、空手と剣法の融合を図る千葉。特訓場面で見せる抜群の運動能力は流石である。

後半は見せ場見せ場のてんこ盛りだ。墓場(麻薬の在り処)を舞台にした夏八木との熾烈な一騎討ち。厳冬の海岸で展開するヤクザ軍団との壮絶なチャンバラ。物語は紛れもない亜流だが、活劇場面は息を呑む凄まじさを放っていた。CGやワイヤーアクションでは味わえぬ迫力に酔った。

ラスト、夏八木の息子が、例の麻薬を親父の遺灰と間違えて海原に捨ててしまう。さしもの勇者も顔面蒼白。思わず「この大馬鹿者!」と喚きながら餓鬼を突き倒す場面に、場内大爆笑!くねくねとした映画に飽き飽きした今の観客には、こういうストレートな娯楽映画がとても新鮮に映るようであった。

次の日。俺は目黒区のK薬局で終日販促活動を行った。休憩時間に、店員のFさんと映画や芝居の話で盛り上がった。「実は私の友達に役者さんがいるのよ」と少し恥かしそうにFさん。「えっ。誰ですか?教えて下さい」と聞き返す俺。Fさんは「若い人は知ってるかな…夏八木勲って言うんだけど」と言った。俺はニヤリと笑って答えた。

「わはははは。勿論存じていますとも。昨夜、夏八木さんの映画を観てきたばかりです」と。

(2003/05/05)

『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』

先日、映画『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』を観た。麻薬漬けのホームズが、フロイトの催眠治療を受けるというパロディ小説の映像化である。最初は何気なく眺めていたのだが、かの精神医学者が登場する辺りから俄然面白くなってきた。禁断症状に苛まれ、発狂寸前の状態に陥るホームズ。誇り高き名探偵とは思えぬ醜態である。しかし、フロイトの的確な判断とワトスンの永遠の友情を得て、ホームズが徐々に正気と勇気を取り戻してゆく姿は感動的であった。

映画の後半は、復活を果したホームズが美貌の歌姫を救出すべく、大奮闘を繰り広げる。エロオヤジに拉致されてしまった歌姫をホームズ一行が追う。クライマックスはカーチェイスならぬSLチェイスが展開。これが凄い。

敵の蒸気機関車を捕捉したその時、ホームズ号は石炭が切れてしまうが…流石は名探偵。この窮地を奇策で克服し、ホームズは根性で敵の車両に飛び移る。そこに現れた憎き悪漢!ホームズ先生は自慢の推理を披露する暇もなく、不安定な屋根の上でのチャンバラを余儀なくされる。この迫力。このスピード感。まさに活動写真。CG全盛の昨今では考えられない面白さ爆発。最高っ。でも、これって『ホームズ』なのかな?

映画の最終盤には、何故にホームズがモリアーティ教授を宿敵と看做すのか?その謎がついに解き明かされる。無駄のない脚本と最低限の登場人物。濃密な映像も魅力的であり、ホームズ好きは勿論、活劇ファンにも楽しめる映画である…と言いたいところだが、シャーロッキアンには余り評判は良くないそうな。とかくマニアは口煩い。

【題名】『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』(1976年公開)

【監督】ハーバード・ロス

【出演】二コル・ウイリアムソン/ロバート・デュバル/バネッサ・レッドグレープ他

(2003/04/28)

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